「麦酒給見申候処、殊の外悪敷物にて、何のあぢはいも無御座候。名をヒイルと申候い。」
享年9年の日本での事。
オランダ人により持ち込まれ、悪評を得た酒は、今日「とりあえず・・・」と言われ庶民の酒となっている。
明治2年に、アメリカ人により「天沼ビール」
明治5年には、大阪綿問屋、渋谷庄三郎が「渋谷ビール」と称して、日本人の手により売り出された。
高級であったビールは、庶民の酒となり、数年前にはマイクロブロワリーの認可が下りた。世界のビールの頂点に選出されるものまで生み出すに至った。
残念ながら、その庶民の酒も、お上の財政獲保にいいように振り廻され、酒税という波にのまれ、高級品とビールもどき発泡酒に二分される事になっている。
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