Flaneur, Rhum & Pop Culture
「コンファメイション」がモスクで鳴り響く日はあるのか?
[ZIPANGU NEWS vol.108]より
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 1月22日の朝刊に“7邦人の死亡確認”の大見出しが舞った。アルジェリアでガス田開発の仕事をしていた日本企業の社員が、反政府武装勢力(アルカイダ系)に襲われて外国人社員とともに人質になって、政府軍の武装勢力殲滅砲撃に会い死んだ記事だった。オバマ大統領も第二期就任宣誓でテロ対策の拡充を重要課題に改めて挙げたし、アベノミックス日本の首相も「尊い7人の命を奪った憎いテロを…」なる発言をしていた。いつもこの<グローバリズム>文言が俺を笑わせるのだが、考えてみるがいい。原因を作ったのはアメリカ・グローバリズムが<テロ>と呼ぶ集団だが、隣国マリを爆撃しているフランスに対して、撤退を迫る交渉材料としての人質だったらしいが、そんな勝手は国家として許せないとしたアルジェリア政府軍の総攻撃でもろとも殺されたのだ。人質しかも日本人だけの人命に執着する政府やニュースは、安倍晋三が「あれほど<人命救助>優先を要請していたというのに」と言うように、憎しみをテロ勢力に向けてアルジェリア政府には慇懃に対応した。アメリカの顔色があるからだ。新年早々くそ面白くもない。14日に日本映画界は大島渚を亡くして暗澹たる気分でいたのに、故人を偲ぶ暇もない。
 『戦場のメリークリスマス』(83,監督大島渚)を観た後、1年前にハードデスクに録り貯めてあったイラク映画『バビロンの陽光』(10,監督モハマド・アルダラジー)を観た。12年前に兵隊にとられた未だ見ぬ父を捜して、おばあちゃんと千キロの無銭の旅にでる少年アーマッドの話だ。フセイン政権崩壊直後のイラク、ペルシャ語も分らないクルド人の婆と孫はバクダッドに向かう途中、親切にしてくれた青年ムサに逢う。ムサが何故クルド語を解するのか、訝った婆にムサは、フセインのバース党に強制されてクルド人を襲撃したとついに白状して、複雑な民族と宗教と政権の犠牲を問う。砂中に埋まった<集団墓地>にも息子はいない。婆は「息子も無理矢理兵士にされた。あんたも同じだ。あんたを許す」と言い、アーマッドが「僕一人でおばあちゃんを連れて帰る」と言い放った時、誰が嫋嫋と涙を流さないで済まされようか。そして、砂塵の舞うバビロンの遺跡の後ろに紅い太陽が沈もうとする時婆は死んだ。映画の半ば、平坦な砂漠の道をおんぼろ農具車に乗っていると、白い車の隊列に擦れ違う。「あれは何だ?」と訊くムサに運転手は「最近見つかった1991年の集団墓地の屍体さ」と答え、婆が思いを塞ぐシーンがある。91年に息子を兵隊にとられ、孫のアーマッドは0歳だったことが分る。映画時間は2003年だ。
 1991年1月17日午前3時、世界で戦争が起こった。
 91年明けは、ベルリンの壁が壊れた東西が修復を急ぎ、東欧の各国はソビエトの共産党独裁政権から解放され、そのソビエト政権も崩壊してゴルバチョフのペレストロイカを迎えた翌年だった。俺が差し入れた、中味を隠すためにラベルを剥がした瓶に詰めた久保田万寿を旅の友に、ARBを解散した石橋凌がシベリヤ鉄道経由のモスクワ〜ベルリンに旅立った日、1月11日、俺は1本のソビエト映画(まだロシアになってなかった)の試写を観るためヤマハホールにいた。“モスクワが友情を語りはじめた”映画『タクシー・ブルース』(監督パーヴェル・ルンギン)は、それまで観たソビエト映画のどれとも違った、まさにペレストロイカが創らせた映画だった。ベテランのタクシー運転手シュリコフはソビエト時代の<労働>を美徳とする旧体制人間で、ある日に乗せた自由奔放なジャズ・サックス奏者の若者リョーシャに乗り逃げされたことから繋がっていく人間関係を、モスクワの状況を意識化しつつ劇映画っぽく物語っていくニューシネマだった。新たな世界の夜明けかと思えた。
 ところがアメリカが傀儡で育てたサダム・フセインのイラクは、前年の90年8月にクウェートに侵略して支配下に治めていた。頑固なフセインはフランス大統領が来ようが国連事務総長が来ようがクウェートから撤退しなかった。ついでに言えば人質になった日本人は全員年の暮れまでに解放された。今ほどはまだアメリカのポチじゃなかったのか?アラブ精神を知らないと言うか、飼い犬に手を噛まれたと思ったアメリカのジョン・ブッシュが、国連軍ならぬ多国籍軍なるものを組織してイラクを総攻撃した。多国籍軍の死者126名、イラク人死者20万人。アーマッドにバビロンの陽光は上がるのだろうか?