Flaneur, Rhum & Pop Culture
『2011年宇宙の旅』を行く<朝三暮四>猿
[ZIPANGU NEWS vol.87]より
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 2011年という年は、日本にとって未来永劫に記憶されるべき汚点を残す年となって、一人の豪腕なリーダーも現れず、その災害処理は今後何十年続くか誰も判断できない恐怖と不安のなかにいる。政権党内の派閥闘争に執着して、<朝三暮四>の政策をやってきた総理大臣の菅直人は、未曾有の災害下にあっても、とくに原発破壊が引き起こした放射能流出対策に何ら大ナタを振るえず、委員会ばかりを立ち上げる愚を犯すなどここでも<朝三暮四>の政策だ。
 昔中国で猿を飼っていた男が、子供が成長してお金が掛かるようになった妻に「猿の餌を減らしてくれないと困る」と懇願された。男は猿に「トチの実を朝三つ暮れ四つにしてくれないか」と言うと猿が怒ったので、「では朝四つ暮れ三つにする」と言うと猿は喜んだというお話だ。子供手当や老人医療費、高速道路無料化や企業減税も今迄の優遇制の替わりだから正に<朝三暮四>だ。仕分けも総て元どおりになっているという愚かしさの中で、この国家危機に何処から災害に金を引っ張り出すのか苦慮している。日本はずーっとこんな茶番を繰り返して愚の為政者と愚民の関係を続けてきたと言える。
 だが義援金活動や炊き出しに立ち上がった人を愚民とは言えないだろう。善の行為だし人情だからだ。では<人災>の原発事故はどうなのだろう?唯一の被爆国にして地震大国が原発開発をしたのはモラル崩壊と言わねばならない。高度経済成長というより良い生活をするために、愚かなお上の<朝三暮四>を愚民は戴いてしまったのだ。高円寺で4月10日に「原発やめろデモ!」があった。ドイツでは25万人規模だったが当事国の日本では1万5千人だと言う。圧倒的な義援金の攻勢と小さな反原発デモの渦中、日本ユニセフ協会に集まった大震災義援金の一部を、ユニセフ大使のアグネス・チャンが貧しいアフリカの子供たちへ届けるという詐欺的行為をした話があった。<義援金>を送って<写真>に載っている人の中には、助成より露出を重んじる人が多いのではないかと瞬間思った。日本ユニセフ協会とは国連の「ユニセフ」とは全く別の募金集めの組織だが、NHK始め日本のマスコミ・トップがずらり役員に顔を揃える財団法人なので、10億20億は平気らしい。アグネス・チャンは去年、協会の日本ユニセフ大使として治安最悪のソマリアへ行き、戦乱と貧困の犠牲になっている子供を視察してきたと発表されたが、実際には隣国のソマリランド共和国だったという事実もある。典型的な助成より露出だ、騙しだ。
 89年も未来永劫に記憶される年だった。その一事件が天安門事件だった。6月4日早朝、戒厳令の敷かれた北京の天安門に集合した学生を中心とした約100万人のデモ隊を、中国人民解放軍は無差別発砲や装甲車で轢き殺した。同年4月民主化の象徴だった胡耀邦の死を契機に抗議デモは起こった。85年3月にソビエト連邦共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフが、<ペレストロイカ>を表明して民主化を進めた時、86年5月、中国共産党総書記の胡耀邦は<百花斉放・百家争鳴>を再提唱して、言論の自由化を推進すると学生・市民から圧倒的支持されたが、自己の地位や一党独裁を脅かすとしたト小平を中心にした長老グループや保守派の李鵬と対立して失脚した。後を継いだ趙紫陽総書記も戒厳令下の抗議デモに公然と同情したとして追放された。指名手配された指導者王丹他21名は海外に亡命した。10年にノーベル平和賞を獄中で受賞した劉暁波は、天安門事件直後拘束され2年間の刑に服したあとも、法と人権尊重を求める「08憲章」を起草して「国家転覆煽動罪」で11年の懲役中だ。「この受賞は天安門事件で犠牲になった人々の魂に贈られたものだ」と獄中で語り涙を流したことが胸を打つが、93年にNHK「クローズアップ現代」は何と「天安門広場での虐殺は無かった」と放送した。当時の日本は当然中国に対して、事の真実の公表を求めたりましてや一言の糾弾も無く見過ごしたのは言うまでもない。
 そして89年も暮れかかった頃、講談社のビジュアル系ジャーナル誌「デイズ・ジャパン」の旧知の編集者がやって来て「廃刊です!」と吐き捨てた。前々月号で<日本の大金持ち文化人30人>という特集を組んで、その一人の文化人から強烈な抗議を受けて遂に休刊という廃刊に追い込まれたのだった。どんな権力を行使したか知らないが、<朝三暮四>を鼻で嗤う、当時からお金持ち文化人だった現ユニセフ大使のトウ小平張りの辣腕だった。