Flaneur, Rhum & Pop Culture
天鼓の鼓と英哲の太鼓
[ZIPANGU NEWS vol.82]より
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  先日、製作時から気になっていた若松孝二監督の映画『キャタピラー』を、45年位前から親しんでいる映画館「下高井戸シネマ」でやっと観てきた。今年のベルリン映画祭銀熊賞(最優秀女優賞)受賞作だ。太平洋戦争を数年残す頃、四肢をもがれて<芋虫>状態になった少尉が<軍神様>となって田舎の実家に送り返されてくる。時勢で言えば凱旋ということになる。だがやることは食べることと性交をするだけ、後は女房がリヤカーに軍服を着せた<軍神様>を乗せて見せびらかして戦意高揚、若者を戦地に送り出す役目を負うが、実は女の男に対するサディスティックな復讐だ。<軍神様>の脳裡には戦地での自らの残虐行為がフラッシュバックで襲ってきて気が狂っていく。
 1989年2月24日、ニューヨークから東京に帰ってきた日の“大喪の礼”の光景は前号で書いた。言ってみれば、キャタピラー的世界を現出させた<神>であり<三軍の将>だった昭和天皇を葬ることで「昭和」も葬むろうとしたのだろう。それくらい歴史は贋もので出来ているがここでは黙する。
 前の年の12月4日「レディ・ジェーン」で始めた、女性ヴォイス・パフォーマーの天鼓が月1回共演相手を選んでタイマン勝負するという“ランデヴー”は続いていた。ジョン・ゾーンや津軽三味線の雄佐藤通弘などが終わって、“大喪の礼”から1週間後の3月5日の相手は和太鼓の林英哲だった。彼自身の最も得意とする見せ場の大太鼓は狭い店に入らない。「そうか、去年上田ギャラリーのお嬢様上田祐子が立ち上げた『ウエアーハウス』の“隅田川ルネッサンス”で観た時の、<うちわ太鼓>が印象に残ったけど、あれだな?!」と思っていたらそうだった。<桶胴太鼓>や<締め太鼓>始めずらり並んだ太鼓群の中で<団扇太鼓>は目立っていた。というより客は始めてみる<楽器>に目を丸くしていた。いわゆる団扇形の大小の木か竹で作った取っ手付き円の枠に皮じゃなくて和紙を貼付けているのだろうが、余程強固にしないとたちまち破れてしまう、が団扇みたいに竹ヒゴは張ってない、第一楽器だから音が出なきゃ話にならない。そうした中で始まった演奏も時が来ると、この胴の無い<団扇太鼓>が水の音から土の音、風の音から火の音を巡り出して、筋肉を揺らし血管を伸縮させ骨を震わせる天鼓のヴォイスと波動の波が頂点に達した時、林英哲が力を込めてバチを振り落とすと、一枚の<団扇太鼓>は破れて、それが終演だった。目を丸くしていた客は更に目を丸くして、一瞬の間の後万雷の拍手となった。格好いい外連を仕掛けて終わった両者のインプロウ゛ィゼーションだったが、林英哲の視線は客の或る一人に注がれているようだった。
 今は閉店しているが、ライブが終われば打ち上げに或は一人で、'75年からしつこく利用していた魚料理の「佳月」にその夜も参上となった。鍋と刺身をつつきながらやんややんやとなった時、酒の入った林英哲が「中島みゆきさんが来ていたね」と言ったので「うん来てた」と言うと、「『レディ・ジェーン』には良く来るの?」と又言うから「良くはないけどたまに来る」と返すと、喜色満面になって鍋と刺身と酒に戻った。と思いきや、天鼓と俺が何か喋り始めたら、今度は「みゆきさんは聴いてどうだったんだろう?」「今度コンサートの案内送ってもいいかな?」と尚もうるさい。「後日住所を教えてやるよ」と俺は答えてからは、天鼓と二人でからかうことにした。「こんなミーハーだったんだ英哲は」、「さっきの演奏した奴に見えないよな」、「そんなんならさっき近づきゃ良かったじゃないか」、「これじゃ打ち上げに成んないよな」と、酒の肴がいつの間にか鍋と刺身から林英哲に変わっていた。当人はからかわれてニヤついているのだからからかう方が損だと気づいた俺と天鼓はやめた。
 天鼓は勿論本名ではないが、由来なら少しは知っている。中国は後漢の時代。天鼓の母に夢の中で鼓が舞い降り胎内に宿った。素晴らしい天鼓の鼓の音だったが、身は呂水の江に沈められ鼓は帝に召し上げられると音をやめ、後年邂逅した慟哭の老父が打つと妙なる調べを奏でたという。天鼓がその後4月フレッド・フリスと、5月三宅榛名とやって半年に亘る“ランデヴー”を終えた頃、林英哲から「みゆきさんのコンサートに僕が行って、僕のコンサートにみゆきさんが来てくれたよ」と報告があった。