Flaneur, Rhum & Pop Culture
『ピナリ(祝願徳談)』でメールスの高原が凍りつく
[ZIPANGU NEWS vol.66]より
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 遂この間の7月3日のこと。当冊子の発行元のジパング・プロダクツのレーベルから、カルメン・マキの40周年記念アルバム『ペルソナ』をプロデュース&発売して、ついでにレコ発ツアーも企画した俺は、カルメン・マキ共演者と共に羽田空港から飛行機に乗り福岡空港に着いた。北九州市戸畑でコンサートをやるためだった。預ける荷物が無かったので待っていると、バゲージ・クレイムから出て来た金徳朱(キムドクス)とバッタリ会った。
 金徳朱は韓国の伝統音楽を踊りながら表現するサムルノリ(四物遊撃)のリーダーで、国際的にも高評価を得ているバンドである。男子党(ナムサダン)という流浪専門芸人集団は千数百年の歴史を持つ民俗的な魂を表現する集団だが、その男子党から抽出したエッセンスを、ジャズやロックや現代音楽と融合させて独特の今日的音楽を創り上げたグループなのだ。四物という意のサムルと演奏という意のノリから創られる、プク、ケンガリ、チン、チャンゴという古楽器の打楽器だけの四物遊撃=サムルノリは、新しい国楽=伝統音楽の1つにまでなって、「多くの人がサムルノリをするように」なっている。勿論ただの古き良き伝統音楽ではなくて、常に聴衆を自らが創る祝祭空間の中に封じ込めて、天上界と地上界を切り結ぶ精神の宇宙を司る韓国のシャーマニズムを現出させている。85年、近藤等則がわが店「ロマーニッシェス・カフェ」に連れてきてくれて紹介された。以来、ステージ他何回か会うことになるのだが、福岡空港で先日会った時、懐かしくもありこそばゆかったのは、当エッセイの58号は、今1988年4月、5月辺りのことを書いている訳で、時の巡りから言ったら、金徳朱のことを書こうと思っていた矢先だったからだ。
 1988年5月21日、ベルリンから国内便でデュッセルドルフに行き、そこからローカル鉄道でメールスという駅に着いた。世界からニュージャズ、フリージャズ、インプロヴァイズド・ミュージックの音楽家を集合させて注目されていた「メールス・ジャズ・フェスティバル」を覗こうと思ったからだった。付近一帯は高原の一大リゾート地らしく、駅からどうやって行ったら良いか、誰がリゾート客で誰がジャズ・フェス客か、どのバスがそこへ行くのかドイツ語もさっぱり分らず途方に暮れたが、どうにかこうにか辿り着いた。巨大なサーカステントに驚いて、入口付近をうろうろしていると、フェスの日本側のプロデューサーの副島輝人が出てきてくれて、彼のナビゲートで俺はポラロイドカメラで写真を撮られ、フリーパスをゲットした。翌日出演の姜泰煥、梅津和時、片山広明、林栄一のサックス4人の「ファーイースト・アンサンブル」がお目当てだったが、前日のその日のプログラムは知らなかった。受け付けでもらったパンフレットを見て驚いて1人狂喜した。その日の取をとるのが「サムルノリ」だったからだ。
 何千人かの聴衆を呑み込んだステージでは、ウルフガング&ジャズ・ウォリアーズというチェコのバンドが、東欧ならではの過激な演奏をやっていた。続いてヴォーカルのリンダ・シャーロック率いるバンドもお初だった。夫でギターのソニー・シャーロックは、ペーター・ブロッツマン、シャノン・ジャクソン、ビル・ラズウェルと『ラスト・イグジット』のアルバムを2年前に出したばかりで、来日した折には「ロマーニッシェス・カフェ」でも、チューズドメンバーと近藤等則とで演ったので何となく愛着は感じた。その後、グラマビジョンの花形だったベースのジャマラディーン・タクーマが、オーネット・コールマンの「プライムタイム」をチャンプルーした様なメタリック・プレイに続いて、「サムルノリ」の登場だった。
 たった4人が肩から吊るした打楽器だけを持って、叩き円環を踊る。仏教の読経と鉦太鼓に似て、やがて場内は呪術的世界に包まれていく。リンダやタクーマの時にあったブーイングや投ビンは全く影を潜めて、延々鳴り止まぬ拍手の中やっと終えると、予定を数時間オーバーした午前2時だった。
 暫くしてテントを出ると零下だった。開け放しの楽屋も凍っていた。訪ねると、金徳朱はびっくりする間もなく「これ飲んだ方がいいよ」と、シーバス・リーガルの入ったショット・グラスを差し出すのだった。