Flaneur, Rhum & Pop Culture
月に願えば、医映音飲食同源
[ZIPANGU NEWS vol.62]より
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 昨晩の深夜WOWOWでジャズ&ポップス歌手の最高峰に位置するトニー・ベネットのジャズ・ライフ映像が流れていたので、思わずテレビの前から動けなくなった。好きなハリー・ベラフォンテやクリント・イーストウッドが熱くその音楽に迫っていたが、中途で何回かフランク・シナトラと共にディーン・マーチンの昔の映像が出てきた。あ!そうか、共にイタリア系アメリカ人だったよなと思い出すと、次にはノーマン・ジェイソン監督の映画『月の輝く夜に』が浮かんできて、その映画は今小欄に書いている1988年頃だったはずだと思って古い手帳をめくった。
 88年3月17日だった。銀座のUIPの試写室で観た「月の輝く夜に」は、満月のせいで兄の婚約者を寝盗ってしまう程、月が主役というかシンボライズされたユーモア溢れる物語だが、イタリアン・テイスト満載の映画に更に潤いを注ぐのが、冒頭とクライマックス場面とラストシーンで流れるディーン・マーチンが声量豊かに歌う「ザッツ・アモーレ」という曲だった。「君の瞳に映るピザのような月〜マカロニみたいに美味しそうな星」−歌詞は多少ふざけていても、人生って素晴しいよと気持を豊かにさせてくれるとても余韻の残る映画だった。
 UIPのビルを出て、暮れ泥む電通通りを新橋方面に歩くと六丁目に能楽堂ビルというペンシルビルがある。茶箱みたいなエレベーターで4階で降りると、昔馴染みの知人がやってる新しいバーの扉を押した。夕方のMORI・BARは口開けだった。酒を注文して今しがた観た『月の輝く夜に』に思いを遺る。“愛しきシェール(女優)、破天荒なニコラス・ケージ(男優)、人は不完全で正直を恐がるが、月は_であり完全で正直だ。皆を一夜でさえ幸せにさせる。”などとひとり嘯き、ギブソン・カクテルのグラスを口に運ぶ。ここは決めなくちゃと思った。コンサートでも芝居でもましてや映画でも、観終えて何処の何屋に入るかは重要な選択だ。期待はずれだったか期待以上だったかによって勿論選ぶ場所は違う。
 下北沢に「レディ・ジェーン」を開店して4年目頃、オーセンティックなカクテル・バーに切り変えようと、無手勝流で孤軍奮闘していた。都内の先輩バーを巡り巡って学習していると、俺の友人の俳優が連れて行ってくれたのが、麻布狸穴にあったガスライトというレストラン・バーだった。そこのチーフ・バーテンダーだったのが、MORI・BARの毛利隆雄だった。毛利隆雄とはそれ以来の親密な付き合いの中、カクテルのこと、バーなること、色々と教示戴き28年が過ぎて現在に至るのだが、88年当時の彼は、カクテルコンペの全国大会で連続優勝はおろか、世界大会でも優勝だったか2位だったかのキャリアを誇っていたマスターだった。もっと個人的に言えば、85年に西麻布に開いた「ロマーニッシェス・カフェ」の初代店長になっていった俺のスタッフは、元々毛利隆雄の紹介だったといういきさつもある。
 ガスライトで初めて飲まされた毛利隆雄のオリジナル日本酒カクテルのよしのや森の淡雪は、店を覗く度に以後何十回と飲んで手の内に入れたと自称しているが、毛利マティーニと異名されるほどの毛利隆雄のマティーニは群を抜いていて今だに届かない。勿論先の日本酒カクテルよりも何倍も毛利マティーニは体験しているし、わが店もベースのジンは毛利マティーニと同じブードルスを使用している。ブードルスは、他のロンドン産のジンと違いスコットランド産で重く、ジュニパー・ベリー(杜松の実)の香りも強く、甘さもあって高級感のあるジンだ。これをフリーズしていてフレンチ・ベルモットと供する。にも関らずかなわない。「月の輝く夜に」を観た後に、彼の店に入ってギブソンを注文したと言った。ギブソンはアメリカのギブソンという画家から名付けたカクテルで、イタリアのマティーニから名付けたそれと殆んど違わない。オリーブの代わりにパール・オニオンを使い、後はステアーでなくてシェイクする違いだ。そんな訳で、勝てない相手にフェイントをかます、そんな気負いのあった頃の話ではあった。
 いい酒が提供できないで、いい音楽は提供できないと、音楽バーの主人として常に思っているし、医食同源という言葉があるなら、音食同源、医飲同源ということになる。