Flaneur, Rhum & Pop Culture
血液型的自己同一(アイデンティティ)の不快
[ZIPANGU NEWS vol.52]より
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 遂先日「コックローチ・イーター」という、あらかじめ制作した電子音トラックの上に生演奏を重ねる、実験的ポップ・ミュージックのライブを「レディ・ジェーン」で終えた後の打上げで、メンバーの木ノ脇道元と中川統雄が、「音楽的センスが似すぎていてもダメなんだ。ある瞬間発想が合いすぎて一緒に引いてしまうから、サウンドの厚みが薄くなってしまう。だから俺らが引いても勝手に続けてくれるB型のメンバーを入れた方がいいんじゃないか」等といった意味のことを話し出した。それを聞いて、俺は20年以上前の「レディ・ジェーン」のある情景を思い出した。
 1987年が明けた或る日、中川昌三と佐山雅弘のデュオのライブだったと思う。もしかすると林栄一、佐山雅弘、吉野弘志だったかも知れない。その終演後の打ち上げで、86年にスタートして88年の間15回はライブを続けた店限定のオリジナル・グループで、良く練り上げられた自作曲を高度なポップジャズ風に演奏していた芸大トリオ=中川昌三、浜田均、吉野弘志=のバンドの話になって、AB型の佐山雅弘が“俺も入れてよ”と前置きして、「ABは自由自在に行ったり来たり変幻してスリリングになるが、Aだとそうはなりにくい」とABらしい中川昌三に、あるいは、やはりABらしい吉野弘志に言っていたのを思い出した。結局このトリオはレコーディングまで話が繋がっていかず勿体なく終った。戦後歴代の日本の多くの首相がそうであるように、細かい個所はいい加減だが全体を見渡せるO型は、ドラムに向いているだろうなどと俺も思っていた。次いでだが声を潜めて言うと、バーのオーナーの俺としては、B型は調理人としては向いているかも知れないが、バーテンダーとしては採用しないと固持している。その理由はここでは語らない。と、首肯できるところは多いにありだが、果して血液型は個別性を越えられないのか?
そんなことがあった直後の3月、琴桃川凛というギターと琵琶を操る奏者のライブが原宿のクロコダイルであった。タイトルは〈連続射殺魔〉。69年、俺が常連にしていた歌舞伎町の「ジャズ・ヴィレッジ」の斜め前に出来たジャズ喫茶「ヴィレッジ・ヴァンガード」でボーイをしていた永山則夫が、後に事件を起こして、マスコミ・ジャーナリズムに名付けられた別称ではなかったか!共犯者は梅津和時、山木秀夫、それにジョン・ゾーンだった。それを機に何故か当然の如く「レディ・ジェーン」で「ロマーニッシェス・カフェ」で次々とライブ展開をしていった。ゲイやおかまではなくて女装した麗人にとって、衣裳は意匠であって、過激なギター・プレイのその裏に隠していた過激な身体パフォーマンスも、その意匠によって観客の視覚聴覚を強烈に刺激する表現だったのだ。悪魔のやさしさと天使の傲慢を繰り出す〈連続射殺魔〉とバトルした強者の面々には、前述の3人の他、近藤等則、富樫春生、フレッド・フリス等々がいた。J・ゾーン企画のニューヨークでのジャパン・フェスでの世界進出を経た後、堕天使ルシファーかはた又今耳なし芳一だったのか、90年を過ぎて暫くして時代の泡と共に世界から消えていった。当初は「最近見ないね」等と語られていたが、それも長くは続かなかった。がそれにしても琴桃川凛の血液型は一体何型だったのだ?
 92・3年頃だったと思う。俺は虎ノ門にあるニュー虎ノ門歯科のソファーで順番を待っていた。診療を終えて出てきた男が「大木さんじゃない!」と言ったが、俺は誰か判らずきょとんとなった。それが元琴桃川凛だった。そして数年前に「良い歯医者を知らないか」と言われ、罹りつけのそこを紹介したことを思い出し互いに照れた。
 神経質で緻密な作戦をAの俺が立てている内に、作戦など考えない即行動のBの妻に、プランをぐちゃぐちゃにされて約35年、血液型がそのまま出ている関係は今だに続いている。