Flaneur, Rhum & Pop Culture
泡の中から使い捨てが始まる
[ZIPANGU NEWS vol.50]より
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 今年になって住んでいる世田谷区から通達があった。今まで燃えないゴミに仕分けられていたプラスチック類とポリエチレン袋類が、燃焼技術の高度化で可燃ゴミに分別しろとなった。分別は便利になったが、CO2やフロンガスの排気量は燃焼すること自体で発生し、温暖化になるのにと疑問が解けない。元より不燃ゴミに分別された音響AV機器や家庭用品は、いたずらに使い捨てになっていて、修理して再生利用するなどとは消費者も製造メーカー側も一切考えていないらしい。アフリカや後進国といわれる地域に売り込みを計る回収業者に助けられているのかと思っても、地球規模で環境を考えた場合良い訳がない。
 1986年、富士フィルムの〈写ルンです〉の使い捨てカメラが発売され、運動会、学芸会、小旅行用に重宝されて大流行した。85年からの続きだが、任天堂のファミコン「スーパーマリオ・ブラザーズ」が大ヒットして、子供ばかりか大人も混じって虜になった。ワープロは「一太郎」、世に出す書類も飲食店や物販店のメニューもワープロ字でなけりゃ恥かしいという風潮になった。86年はロナルド・レーガンと中曽根康弘の米日ロン・ヤスの時代、3月、サントリーは麦芽100%のモルツを発売してサッポロのクオリティと泡戦争を起こした。そして選挙に大勝利した中曽根首相は、第三次内閣を発足してバブル経済を強引に推し進めた。タケオ・キクチやニコル、コムサ・デ・モードのDCブランドを身に付けた男女が、ピテカントロプスやインクスティックに群がった。鈴江倉庫や寺田倉庫はファッションと音楽発信の空間に様変わりした。新宿に出来たのは第三倉庫だったな。サッポロビール跡のファクトリィではYAS-KAZが井田照一と、山下洋輔が黒田征太郎と異種格闘技(コラボレーション)をやり、隅田川河岸の倉庫を改造したウェアハウスでは、YAS-KAZがウエイン・ショーターと共演したり、林英哲や高田みどりが画家と実験的試みをした。倉庫の他にもスパイラル・ホールでは加古隆がソロを、渋谷のシード・ホールではアフリカのラミン・コンテがコーラを演奏し、近藤等則のIMAが新譜発売コンサートをやった。原宿ラフォーレや別館エスパース、スタジオ200での日々の展開があった。ラフォーレ・ミュージアム赤坂であった伽那琴(カヤグム)の池成子と高田みどりのステージは、その浸透度に於いて突出していた。古株のキッド・アイラック・ホールやジャンジャンは脇目を振らぬ創作者の牙城だった。
 下北沢の「レディ・ジェーン」はそんな騒ぎを遠目にしていたが、西麻布に前年開店したばかりの「ロマーニッシェス・カフェ」は、喧噪に巻き込まれるのを独自のライブ・ブッキングで差別化した。即ち近藤等則がジョン・ゾーンを呼び、豊住芳三郎がICPのボス、ミッシャ・メンゲルベルグを呼び、AACMからレオ・スミスが、ドイツからハンス・ライヒェルやペーター・コバルトが、ベルギーからフレッド・バンホーフが、フランク・ザッパと共演したブルース・ファーラーが、ゴールデン・パロミノスやマテリアルのフレッド・フリスが、インプロの雄ネッド・ローゼンバーグなど多士済々がやってきて、日本の強者と対戦した。10月初め、渋谷のスペース・パート3にバンド、ラスト・イグジットがやってきた。ビル・ラズウェルにペーター・ブロッツマン、ソニー・シャーロックにロナルド・S・ジャクソンという強大メンバーだ。このチューズト・メンバーが急拠「ロマーニッシェス」でやることになった。仕掛けたのは近藤等則だった。10日後の日曜日の深夜25時からだった。店はホテル・マンションの地下1階、騒音で大家に追い出されるか乗り越えられるか、試金石の夜だった。時代はその後益々バブルに拍車を掛けて行き、名を上げた人以外、何と多くの表現者が・・・・使い捨てられていったことか。86年は使い捨ての文化の始まりだった。