Flaneur, Rhum & Pop Culture

縁なき衆生は度し難し
[ZIPANGU NEWS vol.35]より
LADY JANE LOGO












 2006年の1年の行動を振り返りつつ、07年の新年も人の住む街下北沢で迎える。既存の4つの商店会とは考えを異にした、「下北沢商業者協議会」を立ち上げ、2つの市民グループ、「セイブ・ザ・下北沢」、「下北沢フォーラム」と荷担しつつ活動した1年だった。行政が一方的に街を分断し解体しようとする新たな道路建設、駅前ロータリー、そして60mビル群の再開発案が、民意を無視して秘密裡に計画されてきたことに反発して、開かれた協議会=ラウンドテーブルの設置と、区に提出済みの計画代替案を検討課題にしろと幾度となく要望要請し、サウンドデモを繰り返した1年だった。だが事務的に受け取るのみで一切を無視してきた東京都と世田谷区の行政権力は、秋になって総ての手続きを、不正なやり口を行使して強行突破した。区が実施した住民に対する第1回意見書募集では、合計427通のうち計画賛成意見は129通で、しかもうち124通は区が配布した賛成のひな型によるヤラセだった。第2回の意見書もやはり、総数1058通のうち賛成429通だが、411通が誘導ひな型だったことが発覚した。又、都の意見書募集では反対が350通で賛成は無かった。にも関らず都市計画審議会は、「用途地域の変更」を採決した。

 そして12月7日、区は「事業概要及び用地と補償説明会」を開いた。極めて機械的な説明の後、東松原小学校の体育館を埋めた参列者の中から、「道路計画に入っている地権者だが、何故説明会の通知が無かったのか」と、会の主旨以前の手続き上の不備に対して不信の意見が飛んだ。後に続く地権者の同様の怒りや、借家契約のテナントとしての地権者から「私たちは何処かに移って同じ商売ができると思っているのか?それに対する補償はどうなっている?」と矢継ぎ早の質問にも、あらかじめ手渡された書類上から一歩も出ることなく、代替用地や個別の例の補償に具体的に答えることはできずに終えた。これ程の圧倒的な反対の声を遮って、法律違反を繰り返してまでも広大な土地買収を急ごうとする裏には、道路特定財源(自動車税等)を自由にする国交省と都と区の三位一体に、開発業者、ゼネコン、一部地主の悪徳が癒着した膨大な企みを思わざるを得ない。合わせて区は、道路と計画地区に勝るとも劣らぬ広大な小田急線地下化の跡地プランを、自転車置場以外一切発表していないのだ。住民の詰問には「まだ考えていません」という始末だ。子供にもばれるそんな馬鹿な話はない。日本の黒い霧というのがあったな。昔「いのちぼうにふろう」(小林正樹監督)という映画もあったな。

 この7日の茶番説明会を受けて12月10日、新たに「行政訴訟の会」を加えた合同の、第1回「下北沢再開発対策会議」を立ち上げた。それぞれ切迫した意見を持った新顔が、多く参集してくれたことは、これからを予感させる亥年を迎えた心の餅だったかも知れない。

 わが広島では陰暦10月亥の日に亥の子という収穫祭がある。暗い朝大石を縄で縛りつけ、10数人が輪になって一軒一軒の玄関先にドスンドスンと穴を開けて廻り、餅を食う習しだ。関係ない話だが、猪武者とは前後の見境いもなく敵に向って突進する者をいう。下北には春は天狗祭りという道了尊と呼ばれる真龍寺の節分祭があり、秋は北澤八幡の豊作祭りがある。八幡とはいつわりの無い心をいい、八幡大菩薩は奈良時代に神仏混淆の中で生じた言葉だが、日本には八百万の神がいても、一切の衆生を彼岸に送る仏の慈悲をもってしても、縁のない者は救うことができないという。人の真情や言葉に耳を塞ぎ目を向けない者は、救いようがないという意を、寿ぎの祝詞としたのだが崇りはないものか。