Flaneur, Rhum & Pop Culture

ブライアン・ジョーンズ〜ストーンズから消えた男
[ZIPANGU NEWS vol.27]より
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 染井吉野が狂気乱舞していた四月上旬、NHKに入りたての二人の若者男女が訪ねてきた。圧倒的に若者に支持され、又現在再開発に激震する街下北沢は新入社員として格好の社会勉強の的だったのだろう。二人共黒いスーツをいかにも着せられて溌剌と質問してくる。「この店はいつからですか?名前の由来は?下北沢の昔はどうだったのですか?」等々。
 1975年1月、50近く上げた店名候補を消去法して、デュークやサイドワインダー等ジャズに因んだ名も最後に蹴落として「レディ・ジェーン」という屋号のジャズ・バーを下北沢にオープンした。「『ローリング・ストーンズ』は知っているだろう?」と言うと、若者は真面目に「知っています。ついこの間来ました」と張りきった。この在りながらにして伝説化した世界最長バンドは、3月によく来日する。それにしてもS席1万8千円とはよく付けたものだ。ジャズの店なのに何故ロックの曲名から取ったのかと昔よく聞かれた。そこが店主である俺のクロスボーダー作戦その一だったのだが、今ではそれも聞かれず?顔をされるのが落ちだ。「結成時のストーンズのリーダーでブライアン・ジョーンズがいたんだよ」と言えば「はぁ?」としか答えが無い。
 猥褻か芸術かを争ったチャタレー裁判の元となった20世紀最大の性愛小説D・H・ロレンスの「チャタレー夫人の恋人」(伊藤整訳)の一節にある。肌も露わな夫人コニーの前に立った森番メラーズは緊張したペニスを見下ろして「ジェーン夫人に頼んでみろ!ジェーン夫人に欲しいと言ってみな」と続く長台詞があって、つまりレディ・ジェーンとは女性器のことを言っている。そしてこの引用の元と言えば、イギリス王朝16世紀初頭の絶対君主ヘンリー8世と6人の妻は史実に有名だが、3人目の妻となるジェーン・シーモアに宛てたヘンリー8世の手紙からきている。「千日のアン」こと二度目の妃アン・ブリンを断頭台に送ることになったジェーンの仕業は、ストーンズの『レディ・ジェーン』の歌詞ではこんな感じだ。
“いとしのアンよ もう遊びはおしまい 別れの時よ レディ・ジェーンに惚れたんだ いとしのレディ・ジェーン”
 性の解放を通して身分階級を越えた、生命の回帰と歓喜を謳ったロレンスの精神世界と呼応するように、ストーンズの同曲は、ブライアン・ジョーンズの悦楽を肯定して奏でるダルシマの優しい響きが印象的で『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』と共にストーンズ曲の中では(『アンジー』もあるが)異質とも言えるメロディアスで美しい曲なのだ。
 「つまり君たちが今いる所は何処なんだろう?そのブライアンは『むなしき愛』なんて曲ではシタールを弾いたりする天才ミュージシャンだったわけだけど、グループ内で孤立してたんだ。69年突然自宅のプールで死んだんだよ。その死は今でも謎なんだ」―恥ずかしい話と凄い話を聴いたとばかりに、桜の如く狂喜して若者は帰って行ったが、社会研修になったかどうかは知らない。
 その謎の死を追った映画がある。「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」がそうだ。製作・監督はビートルズの結成を描いた「バック・ビート」('93)や「クライング・ゲーム」('92)を作ったスティーブン・ウーリーだ。“彼の死を通して、華やかな60年代とその終焉、時代性を浮き彫りにしつつ、死の真相をサスペンスフルに迫る”とキャッチにある。公開予定(シネクイント他)の夏に愉しみがひとつ出来た。