Flaneur, Rhum & Pop Culture

『ドルチェ・ヴィータ』も『サンバ・トリステ』もことの次第
[ZIPANGU NEWS vol.140]より

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 昨夜液晶テレビのハード・ディスクにWOWOWやNHK・BSの映画収録が目一杯になったので、旧いものから消去しようと『フェリーニの道化師』と『甘い生活』を選んだが、消す前に数年振りにまた観てしまった。どういった性分をしているのやら、〆切りを急ぐのが先決であるはずは分かっているのに、寄り道を得意とするから始末に悪いのだ。『甘い生活』は1960年の作品だ。
 主人公のゴシップ記者マルチェロ・マストロヤンニはパパラッチのカメラマンと、女優や芸能人を追いかけて、親の財産で生きている奴らと爛れに爛れた退廃の日々を送るのだが、尊敬する小説家のスタイナーのような静かな知的生活を夢見ているところを併せ持っている。ところが、嫉妬から同棲女に自殺未遂をされた上、スタイナーは家族を巻き込み自殺してしまう。マルチェロは精神性を失い腑抜けになっていく。
 話はそれるが、9月22日の朝刊の一面の見出しに、「相続税 延滞税で膨張/都内酒店6000万円が1億6000万円に」とあった。それバブル期の話だろうと記事に目をやると、土地が勝手に急高騰したバブル期に「父が死亡し、約6000万円の相続税が課され、それが1億6000万円に膨らんでしまった」らしい。昔の話ではなくて今苦しんでいる話だ。小さな酒屋の相続税が何故厖大な6000万円だったのかも不信なら、それが1億6000万円になったのかも不信だ。バブル経済を作ったのは国家だし、運悪くその只中で父親に死なれたのは不幸だったが、バブルが弾けて土地が急落したのに、相続税は据え置きにしたのは国の騙し討ちに近いのではないか。新国立競技場なら責任者無しで、平気で60億も捨てるのに、今も昔も変な行政がまかり通る国なのだ。
 1993年は、バブルが弾けても不動産を手放さなかった人たちや、多角経営に手を出した企業など、前年の1万4167件の企業が倒産した現象を加速していた。洋服の青山やアオキの安売り店が大流行、若者のファッションもグランジ・ロックの影響から、服にハサミを入れたり穴を開けたりして、激安ブームに火を点けて、ずっと後のデフレ・スパイラルの構造不況の原型を作ったが、<酒屋の息子>は救えなかった。そして、足元を見透かしたように中野孝次 著「清貧の思想」が、大ベストセラーになって、日本人に良寛などの生き方を通して、<貧しい生活の中の心の豊かさ>を教えようとした。そうした押しつけ道徳が大嫌いだった俺は48歳の年齢だったが、バブル時代の前だろうが後だろうが、遊ぶ時間と金にだらしなかった。勿論、歌舞音曲と酒に関しての話である。
 毎月の冊子刊行のためのゲストの書き手の指名と原稿受け取り、二軒の店のライブのブッキング、そして自分の2、3のエッセイを準備したら、原稿を写植屋へ届け、翌日取ってきた写植を写真製版屋に届けて翌日受け取り、印刷屋に届けるまで、妻の手を借りながら一人でやる月例作業は継続中だったし、印刷物を各人に郵送することも後の定職だった。江戸であれば傘張り浪人のような、こつこつ仕事をよくも何十年も続けてたものだと呆れるが、根が貧乏性なので苦に思ったことは一切無くて、むしろ好きな仕事だった。映画内のマルチェロが生きていたら、どんな日々を送っていたか知る由もないが、勿論、誰だって<LA DOLCE VITA>の日を浴びたいさ。1960年にマルチェロを作った監督フェデリコ・フェリーニはこの年に死んだ。
 1993年前後、「レディ・ジェーン」と「ロマーニッシェス・カフェ」両店に頻繁に出演していた一人が、ギタリストの佐藤正美だった。当時もブラジルに方向を向けたミュージシャンは多く、俺と近しくしていたYAS-KAZやエンジニアの小野誠彦など、どんどんブラジル行きを決行したが、幼少をブラジルで過ごしたアメリカ人のアート・リンゼイが、「アンビシャス・ラバーズ」を結成して、再びブラジル移住した影響があったのだろうか。佐藤正美も若くして音楽の在処をブラジルに置いて、ボサノバやサンバに精通した人だが、そうした流れとは一線を画したように、多くのブラジルの音楽家がそうであるように、<自然>との共生の中から得た曲想を楽曲や演奏に取り入れることを主眼としていた。著名なボサノバやサンバ曲の他にも、ブラジルを代表するクラシック作曲家ヴィラ・ロボスの『ブラジル風バッハ』や『リトルトレイン』、何でも楽器にしてしまう変態といわれる奇才エルメト・パスコアールの『パポフラード』など、何度聴いたことだろうか。
 だが、ここは彼がこよなく愛していたバーデン・パウエルの『サンバ・トリステ/悲しみのサンバ』を鎮魂曲とするしかないだろう。音楽家だけに限っても、今年で何人目の知己を得た人の訃報だったか。2015年7月30日、享年63歳、佐藤正美逝去。