Flaneur, Rhum & Pop Culture

世界国家から脱出した哲学ピアニスト
[ZIPANGU NEWS vol.139]より

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 今年の5月8日、長年の知人のピアニスト、トム・ピアソンが「レディ・ジェーン」にやって来た。何の相談かと耳を傾けると、「ここで毎週一晩、ライブをやらせて欲しい。お金はいらない、客からお金は取らない」という申し込みだった。各所でブッキングされたライブをやってもお客が来ないので辞めたのだそうだが、ピアニストである限り日々のピアノ・プレイは大事な事なので、プラクティスとして無料出演させてくれということだった。俺はすぐさま承諾して水曜日を選んだ。
 5月13日が初日だった。約束通りお客が聴こうが聴くまいが、私語を続けようが構わない。元々、トムのピアノ・プレイはガンガン弾きまくって客を引きつけるタイプではなくて、ゆったりテンポで聴かせるヨーロッパ型ECMサウンドを彷彿させるピアニストだ。一音一音が立っていて重さを感じる。奏者は淡々とやり、客はBGMにすれば良い。トムは自分で決めた20:30、21:30、22:30の3ステージを終えた。ソロから始まった実験的プレイは、ある週はベーシストを、ある週はギターリストを従えてやってきた。ところが、4週目の1ヵ月もすると、そんな試みが客の耳から耳へと伝わっていき、水曜日常連客になっていった。特に下北沢界隈に住む白人層がグループとなって幾組もやって来始めた。ライブでなく始まったことが<ライブ>になってしまったのだ。おかしいではないか。ライブをやっても客が来ないという理由で、公開練習のように始めたことに、わんさかと客が押し寄せてくることになるとは!
 8月12日も白人グループは来ていて、それなりのお客の数だった。演奏を終えたトムが話があると言った。「自分から言い出した提案なのに済みません」とはにかみながら、「来週から一人500円ずつ戴きたい」と言ったので、「お客からは取れないので、その分店が支払うからOKだよ」と答えると、「じゃ、ネクスト・ウエンズデイ!」と帰っていった。ところが翌日彼から電話が掛かってきた。「昨日話した一人500円のことは無し。水曜日プレイの企画は昨日が最後にする。ソーリー」と言って、3ヶ月12回で終った。帽子を持ってスタッフが客席を歩く事はトムが嫌がったので、俺はピアノの横のテーブルに帽子を置いていた。電車賃くらいは日々取り返していたが、「一人500円」と言って、自分の提案を自らひっくり返したことに、バツが悪かったのか、演奏を聴きに来る客がいきなり増えていったことに、自己の見通しの甘さというか、予想が狂ったことに提案を練り直さざるを得なかったのだ。
 1991年、トム・ピアソンは日本にやって来た。そして下北沢に住みついた。1970年代末から出演していたおかしなピアニストのマイク・モラスキーを突然思い出した。
 何回となく出演した後、プッツリ音沙汰が無くなっていた2010年頃だったか、一橋大学の教授になっていたマイクが、大学と関係なく、東京新聞紙上で太田和彦よろしく酒場探訪記を連載し始めたではないか!そしてこちらのおかしなガイジン、トムも一年を通してほぼスーツ姿ではなかったかと印象にあるが、120%事実なのは冬だろうが雪道だろうが、一年中足元は地下足袋なのだ。先月まで3ヶ月間やった時も勿論地下足袋だった。1992年からだったか1993年からだったか怪しいが、1993年9月12日の「レディ・ジェーン」は確かにトム・ピアソンのソロ・ライブだった。「偉大な作曲家でもある、鋭い批評性を持つ楽理派ピアニストの、緩急自在のソロ・プレイ」が当時俺の書いたキャプションだった。チャージは2,500円だった。
 <偉大な>と書いたトムの俺が知るところは、例えば、ジュリアード音楽院でジャズに傾倒し、ニューヨーク・シティ・バレエ団や交響楽団、メトロポリタン・オペラの演奏、編曲、指揮をやりながら、ジャズ・バンドを結成。かたわらハリウッド映画音楽の仕事では、ミロス・フォアマン監督『ヘアー』やロバート・アルトマン監督『ポパイ』(ロビン・ウィリアムズ主演)や『クインテット』(ポール・ニューマン主演)、そして俺が大好きだったウディ・アレン監督『マンハッタン』のサントラ盤で、作曲、編曲、指揮で関わっている凄いキャリアなのだ。次いで、マイルス・デイヴィスもこうべを下げたジャズ界の最高峰ギル・エヴァンスとの親交を深めた男なのだ。こんな人が何故に1991年から地下足袋を履いて日本に住み続けているのか?8月12日に来た口の悪い俺の友人などは、「女を追いかけて来たのよ!」などと決め打ちするが、話を面白くしようと言ってるに過ぎない。
 1991年1月、ブッシュ米大統領は湾岸戦争に突入!多国籍軍の死者126人、イラク軍の死者20万人。日本の威張った軍事評論家の解説付きで、国民はテニスの試合を観るようにテレビ観戦した。恐ろしい国より馬鹿な国を取るだろ?普通。