Flaneur, Rhum & Pop Culture

時代に流れる人、時代に杭する人
[ZIPANGU NEWS vol.137]より

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 2015年6月23日午前5時、当原稿を書くために起きて目を覚ますためにTVのスイッチを入れたら、世界のBSニュースの発信元がインドのムンバイからだった。前々日21日の日曜日、「レディ・ジェーン」でライブを終えたオーボエ奏者・作曲家の笠松泰洋が、「福井の小浜の原発を冷却するためにはとんでもない大量の海水が使われて海に戻されている。厖大な海でも1度温度が上がれば海の生態系を変えるし、市場に上がる魚にも問題が生じている」と言った。「海の温暖化で鰆が能登の海にも現れているそうだよ」と、俺が能登出身の箏の竹澤悦子に言うと、「鰆は若狭湾までだった」と、福井出身の笠松泰洋が答えた。こんな会話をしたばかりなのに、地球上の各所は今高温度が続いているが、ムンバイも45度以上の日々が続く最中、停電の事故に襲われた上ラマダン(断食月)を迎えた市民の多くが熱中症に罹って死んだり入院したりしているということだった。
 又、温暖化は世界を大洪水に見舞う。アンドレ・カイヤットの映画『洪水の前』(1954年)は、核戦争を恐れた少年少女が、国も親も捨てて夢の国に脱出するための資金繰りに、犯罪を繰り返す話だ。BSニュースのムンバイの酒密輸業者が警察に賄賂を贈って造ったメタノール入りの酒で、何百人が死んでるそうだが、映画の少年少女の眼差しの方が余程哀れだ。余計なことを言わせてもらうと、こちらで言う<洪水>はヒトラー・ナチスのことだが、オットー・フリードリクの著した『洪水の前』は、俺がかって<ベルリンの1920年代>に入っていった時の、わがバイブルだった。何処かの学者が警告を発していたが、中国の黄河に来年か再来年に大洪水が起きて、規模も悪名も世界一の三峡ダムは脆くも崩壊して千万から億人の死者が出るだろうと。賢者も愚者も誰も歯止めをかけようとはしない。人間という生物は一体何を考えて生きているのだろう?自分も世界から釣り鐘を下ろされた中で、ガンガン響きあっているようなおぞましい感覚に再三襲われているが、せめて死ぐらい己れの意志で迎えたいものだ。こんな世界と真逆な人間を描いたTV番組を思い浮かんだ。
 2015年4月7日、14日のNHKのETV「ハートネットTV」はNHKハート展20回目ということで、障害者が作った詩にイメージを膨らませた写真家の荒木経惟が、作者である障害者の写真を撮ってアート・コラボレーションする番組だった。「立ってる」は統合失調症の35歳の主婦だが、夫も躁鬱病を患っている。アラーキーはスタジオに入る前に女優よろしく衣装と念入りに化粧をするように指示を出す。勿論、プロのヘアメイク&スタイリストの手に依る。「空」の詩は14歳の学習障害の少年だ。思いっきり大人びた服で決めた一世一代の写真撮影なのだ。撮っているアラーキーは数年前に前立腺を罹病して、一昨年には網膜中心動脈閉塞症で右目を失明している。障害児の質問に「だって、撮るのは俺じゃないよ、カメラが撮ってくれるんだ。俺はそこへカメラを置く人」みたいなことを言って左目でファインダーを覗けば、総てが解放されて自然発生的な笑顔に会場と皆が包まれる。
 1993年のこと。文遊社の山田健一から故・阿部薫に関する取材を受け、詩人の白石かずことイギリスのトロンボニスト、ジョン・ケニーのライブのため、ブリティッシュ・カウンシルのサポートの頼みごとに走り回った翌日の8月26日、「ラブ・ユー・トーキョー/桑原甲子雄・荒木経惟写真展」を観に世田谷美術館に出掛けた。荒木経惟は元より知り合いだったが、桑原甲子雄は1930年代の少年時代に親にライカを買ってもらったボンだったとくらいしか知らなかった。しかも、1985年に出した西麻布「ロマーニッシェス・カフェ」で月刊で出していた小冊子の表紙を飾った1920年代の写真は、J・アンリ・ラルティーグという富豪のボンで、子供の玩具が生涯の職業になった人だった。それで、ラルティーグを調べているうちに、日本にも似たような出自から出発した写真家として、桑原甲子雄に出会ったといういきさつだった。
 ところが、好きな荒木経惟の写真は勿論満足ではあったが、桑原甲子雄の写真に胸が締め付けられるほど迫ってきたのだった。二人展の見方を素人としては、両者を比較して観るというよりも、時代を比較して観てしまったのだと思う。すると、戦前の30年代からを撮った写真のインパクトの方が強いことになる。
 数日後、「ロマーニッシェス・カフェ」に荒木経惟がやってきた。俺は思った通りの先のような感想を勝手に言った。すると、怒るかと思いきや、「そうだろ、写真とはそういうものだ」と簡単に言い切った。この「ラブ・ユー・トーキョー」展は1993年7月17日〜9月5日までの期間、記録的な客入りが続いた。