Flaneur, Rhum & Pop Culture

時代の徒花レーザーディスクの効用
[ZIPANGU NEWS vol.134]より

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 安倍晋三という首相は相変わらず元気が良くて国民を不安に陥れている。昨年末の選挙の結果が圧倒的支持だったから当然といった顏で、自分が選んだ新内閣の大臣が何人も、政治献金や政治資金規正法やらの不正で辞めていったのに、厚顔無知は恐いものを知らないので勢いにバイアスが掛かっている。“ジャスミン革命”“アラブの春”の先駆けとなって、新政権維持を唯一「正しく」していた国チュニジアでも、遂に「テロ」事件が起こり日本人も3人が殺された。3月19日も彼は「テロは断じて許されない」と同じ文句を繰り返し、自分がやってることが分かってない。これでは故・後藤健二も浮かばれまいに。国内では普天間基地の辺野古移設を巡って、沖縄対本土で内戦が起こりそうな気配だ。
 1993年も新年から金丸自民党副総裁の5億円献金事件をきっかけに、佐川急便が過去6年間に毎年10億円の金を国会にバラ撒いていたことが発覚した。時の宮沢新内閣下でも、カンボジア武装グループに日本人のボランティア・スタッフ中田厚仁が殺された。宮沢内閣は何も出来ずに潰れて、38年振りの非自民党の7野党連立内閣が夏に誕生して<55年体制>が終った。細川護煕政権は「第二次世界大戦は侵略戦争だった」などと発言して、中国や韓国ばかりか国内にも人気だったが、これ又愚策の上に翌年4月に金銭疑惑が発覚して辞めていった。つまり今と何も変わってないということだ。更に、相次ぐ不況は中小企業をバタバタと倒産させて、バブル崩壊後の激安ブームを起こして今の時代の下地を作った。にもかかわらず、一握りの企業のみ貿易黒字は過去最高を記録するという格差拡大の矛盾までそっくりだ。
 しかるに、「洋服の青山」はスーツ一着1,900円、100%オレンジジュース1?168円のしけた時代。母の一周忌をやった翌日の2月1日、西麻布の「ロマーニッシェス・カフェ」の店長が謎の疾走をした。下北沢の長女の「レディ・ジェーン」は19歳になっていて、かってあばずれだったじゃじゃ馬も、淑女の成りを身に着けようかとしていたが、「ロマーニッシェス・カフェ」のほうはまだ7歳の若さで、たまに乱心するバカ殿様のようなところがあった。
 今ちょうど「ラジオ深夜便」から、故・ジョー・コッカーの1969年のウッドストックでビートルズをカバーした『With A Little Help From My Friends』が流れてきて思い出す。1975年の1月にオープンした「レディ・ジェーン」には金が無くて、ジャズの看板を上げながら手持ちのロックやブルースのLP盤で、レコード棚の隙を埋めていた2年があった。それでジャズを掛け終えてジョー・コッカーの「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」のやはりビートルスのカバー曲『She Came In Through The Bathroom Window』を掛けていた時、「勘定して!気分悪い!」と声を荒げて立ち上がって帰っていった女性客がいた。与太話を言っておくと、その客はジャズ好きな俺も知っている女だった。その女は半年後にジャズの店を出した。更に時代が進んだ1980年代のいつか、俺がその店に行くと掛かっていたのはアメリカン・フォークだった。俺はその時黙って思った。俺の場合はレコード数の問題にしたけど、結局早いか遅いかの問題じゃないか、かたくなにジャンルを守ってもつまんねえだろと。そうして、徐々にじゃじゃ馬を焦らず調教していったのだが、店長に失踪された「ロマーニッシェス・カフェ」はまだまだ未調教だった。
 金を良く食うけど、金を良く生むじゃじゃ馬でもあった。披露宴やさまざまなパーティ、広告代理店や出版社、テレビ局の撮影、中でもテレビ朝日通りを挟んだとい面のテレビ朝日の番組「ミュージックステーション」の生中継は、俺の好きな音楽ではなかったけれど、PUFFYやGLAYなど流行音楽が目の前で聴けた。他、資生堂「花椿」の撮影、前衛活け花「龍生派」の撮影などが、日頃の飲食営業以外にあった記憶だが、ちょっと別の記憶としてあるのが、第一興商という当時なら広く知られたレーザーディスクカラオケの会社で、歌詞が出てくる背景場面の撮影に何回か使っていたことだ。この仕事を取ってきたのが、失踪した店長だったから、失踪後もおいそれと契約を切れなかったのだ。
 カラオケはやらないと決めていたが、絶対やらないことはあり得ない。そこで後日、無理に連れられてカラオケ・スナックに行った時、レーザーディスクの画面に自分の店が出てくる時のおぞましさを思い出した。レーザーディスクが他社の映像機器との競合にいち早く消えていったが、今でもまんじりともしない。