Flaneur, Rhum & Pop Culture

鈍色の夕焼けに過去の背負い籠でも編むか
[ZIPANGU NEWS vol.128]より

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 つい先日の9月20日、下北沢アレイホールで『ユリシーズの秋』と題したコンサートをやった。パリに住む沖至が自家製トランペットで吠えると、八木美知依の十七絃箏の重低音が場の空気を支配すると、太田恵資のエレキ・ヴァイオリンがギターもどきのフィードバックで緊張感を高め、さがゆきの人技らしからぬヴォイスでお客は固唾を飲んで、場の空気はとっとと移動する。そんな斬刃乱れ飛ぶ混沌の隙間から、詩の身体表現にこだわる83歳の白石かずこが、巻物を手に長詩『今日のユリシーズ』を朗読すると,その旅は永遠に続くのかとさえ思えた。旅の終わりは何処の港を目指すのか、打ち合わせも約束も知らされなくて、暗黙に分かっている者たちの気の合い方にお客は又固唾を飲むしか無かった。
 余韻を残して現場で打ち上げ。長い付き合いのアレイホールの支配人は坪井美香という。俺がチーママと呼ぶ女優でもある彼女が「この間、朗読劇で東北三カ所に行って来たのよ」と言った。朗読と音楽による『言葉の海へ』と題する舞台で、日本最初の国語辞典「言海」を編纂した大槻文彦の物語りだと説明された。「へえ、ちょっと前の三浦しおんの『船を編む』の世界か。松田龍平がやった映画(石井裕也監督)も良かったな」と言うと、「良かったよね。でもあんなもんじゃないから」とチーママ。そりゃーそうだろと暗黙で頷いて、東京でもやれないかと興味が湧いてきた。大槻文彦の故郷の岩手県一関,宮城県石巻、山形県寒河江市を回った舞台『言葉の海へ』(原作・高田宏、演出・笠井賢一)の、演奏で付き合ったのがピアニストの黒田京子だと言ったのも興趣を増す。30数年の長い付き合いだが、このところ暫く会ってなかった。
 1992年、秋の黄金色の夕焼けも衰えて、ものみな冬ざれていく候の11月30日、変な出会いがあった。高円寺だったかに在住していたオルタナティブ・ミュージックの先駆者ジョン・ゾーンから電話があった。「ヒロキリュウイチって監督知ってる?」「うーん、聞いたことあるような名前だけどお・・」「その監督が撮った新作があって、僕が音楽やってるのね、「ロマーニッシェス」でピアノの音録りやらせて欲しいんだけど?」という日本語ペラペラの話しで、翌々日が11月30日だった。監督の廣木隆一、録音部、そして音楽監督のジョン・ゾーンが書き下ろした、ピアノ曲を演奏する人に選んだのが黒田京子だった。黒田京子は高瀬アキの弟子として10年も前から仕事で付き合っていたし、ジョンと黒田京子の音楽の付き合いも常套だったが、音楽にジョン・ゾーンを選んだヒロキリュウイチ監督に未見識ながら興味を持った。当時、ジョンは日本の先端音楽のライブ・シーンを泳ぎ回っていて、日本のミュージシャンに他流試合を次々に挑んでいたばかりか、日本の映画や音楽にも、相当マイナーなそれらにもやたら造詣が深かった。俺とは「ロマーニッシェス・カフェ」や「レディ・ジェーン」のライブで散々付き合っていたので仲良くしていたが、<変な外人>を選んだ監督は、音楽や音楽事情にも明るい人に違いないと思った。
 廣木隆一監督『サディスティック・シティ/魔王街』('93)は「半村良の同名小説を映画化したエロティック・ホラー。93年ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭で、ビデオ・フェスティバル部門グランプリを受賞した」、平凡な男が自己の魔性に目覚めて破滅していく物語り。20数年振りにあったメフィストへレスのような悪意の友人(白竜)に出会ったファウスト・田口トモロウは、自分の妻(広田玲央名)も差し出して、女子社員(秋乃桜子)や白竜の妻(近藤理枝)等の女淫の陥穽に堕ちていく。白竜が弾くピアノが、終末感を漂わすアンバー色の夕暮れに染まった怪しげな館で、サイコキラーの序曲を弾く。導かれるままに魔性の扉を開ける男。勿論、実際に演奏しているのは黒田京子で、映画も演劇も解っている彼女ならではの劇世界の表現法だった。勿論、映画の意図を読み込んだジョンの作曲あっての事だった。
 1992年11月30日、2時間ほどで演奏を録り終えると、「金無いからいいよね。その代り晩飯食べに行こ」とジョンが仕切った。西麻布の現場から連れていかれたのは、初台の裏路地に佇む小さなドイツ・レストランだった。ユダヤ人のジョンがドイツ・レストランを選ぶんだ?と思ったが、そこはそこ何かあるのだろうと思っていると何故か料理店に詳しい巻上公一が混ざっていた。小さな9人のレストラン「ツヴァイ・ヘルツェン」は愛しのオムレツを囲んで、賑わいの時間が過ぎていった。
 で、思う。『言葉の海』はアレイホールでどうなのか。朗読の女優とチーママがいて、黒田京子が慣れ親しんでるスタインウェイがあって、我が物顔に振る舞う俺がいて、未だ観ても読んでも無いのに、そんなに簡単に舟は編めないか。