Flaneur, Rhum & Pop Culture

“とんとん とんからりと ”思想統制してみろ!?
[ZIPANGU NEWS vol.127]より

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 下北沢の「レディ・ジェーン」の隣りは「主菜・まる吉」という居酒屋で、結構古い付き合いになる。この二店が建物の1階のテナントで上はアパートになっている造りだ。実は来年早々、契約は更新しないので出ていってくれと、5年前から大家に通達されている。下北沢の再開発決定が2007年に強行認可された影響が降り掛かっているのだが、建物の老巧化が表向きの理由で、実際は来年になってみないと、先方の動向が分からないという現実がある。2004年にも「2005年から5年後までの契約はするが、その後更新はしない」と言っていたのが、どうした気分か伸びて更に5年後の契約打ち切りが来年2015年の2月末ということなのだ。互いに切迫している問題を抱えているから、大先輩の店として、俺はちょくちょく「まる吉」に顔を出して、名物の100円だし巻きや気の効いた肴をあてに広島の地酒を飲る。偶然だが同じ広島出身だったし、2011年に生まれて「まる吉」と名付けられた坊やは店内で育っていたりして、そこにはなかなか見掛けない現在らしからぬ光景もあるから、契約のことばかりが話題ではない。契約上の怒りを書こうとすることでもない。
 1992年11月10日、隣りに「小料理屋・夢み亭」が新装開店した。「まる吉」の5店舗前の場所だった。女将の大原幸子は俺より数歳姉さんで、1974年11月に開店した「小料理屋・くるみ」の女将でもあった。「レディ・ジェーン」の基本設計を俺が書いて、内装業者ではなくて、蜷川幸雄の舞台演出デビュー作もそうだったが、舞台美術の大野泰に設計図と棟梁を任せて、その年の12月初めに工事を始めた俺たちは、大野泰の「今日は止めた!」の一言で、隣りの「くるみ」に顔を出して、一日の労をねぎらった。金が無かった俺には竣工予算も立てられず、人件費もいくら払えるかさっぱりだった。「分かった。面白く遊ぼうぜ。その代り食事と毎晩飲ませてくれよ」と言った大野泰と約束したから、ほぼ毎晩通った。そして、翌新年1月、無事に変わった内装の店「レディ・ジェーン」は開店した。美人で年上で気っぷが良くて、幼女を抱えた未亡人の女将は俺たちに人気は高かった。18年後にそんな大原幸子に何があっての改装なのか、俺には何か裏の事情があるように見えた。
 下北沢の当時の代沢三叉路界隈には、ラーメン屋や定食屋はあっても、小料理屋などは「くるみ」一軒だけで、居酒屋が「一力」一軒、おでんやが「万上酒場」一軒、バーは「レディ・ジェーン」だけだった。二店は<結い>の心で、味噌醤油だしを、片やオリーブオイルやバーボンやスコッチをバーターして補い合った。「レディ・ジェーン」がライブを週末に始めると、隣りにはもろに騒音となって聞こえるのに、「いいのよ、お客もただで聞いてるから」と言って取り合わない。おまけに、「レディ・ジェーン」で飲み潰れた女将を担いで寝かせた、裏戸から直接上がれる三畳の部屋は、ライブの日には出演者の控室となった。席がない時などは、一般の日のお客のウエイティングの場にもなった。そんな荒ぶれた店と客と違って「くるみ」には、男を寄せ付けない毅然とした美人女将にもかかわらず、街の旦那衆がカウンターを取り巻いていた。俺の前でも時として痴話げんかが起こったりで、噂は噂を呼んだ。中でも一番通っていたのが、旦那衆の中でも特に仲良くしてくれた金子葬儀店の社長で、総長睦会の会長をやっていた金子省吾だったが、ニヤリと軽く受け流すのだった。金子会長は落語の若手のタニマチをやっていたらしく、ある日をきっかけに、互いに二つ目だった立川寸志(現談四楼)と柳家さん光(現権太楼)を連れてくるようになった。二人も美人女将に接待を受けて、懐は会長なのでさぞかし居心地が良かったのだろう、70年代の終わり頃には俺も仲良くなっていった。
 さん光は1982年に真打ちとなって権太楼を襲名して、寸志は翌年談四楼を名乗った。談四楼は金子会長の口添えで、北沢八幡の演芸場で30余年間、かって毎月、今隔月独演会を続けていて、落語組織の立川流と落語協会の諍いの中で、別れた二人がここに来て「二人会」を作り定期公演を続けているのは、同期だからだけでなく、「くるみ」の青春の記憶が胸の奥に秘そんでいるからに違いない。
 「不幸の幸と書いて幸子だよな、サチコさん!」などといって、美人姉さんをからかっていたのが、本当になったのか?まだ当時で50歳を越えたばかりの年のはず。「夢み亭」から2年も経たないある日、店ばかりか下北沢から突然いなくなった。前の晩に酌み交わした時の姿勢からは、そんな隙をおくびにも出さなかった美人女将の、人生の秘密を内に秘めて消えたのはせめての誇りなのか。今「まる吉」に行くと、「くるみ」と蜜月時代が蘇ってくるけど、それとて後僅かになるかもしれない。