Flaneur, Rhum & Pop Culture

二人の神=蛙と猿の『ケチャ』の島
[ZIPANGU NEWS vol.124]より

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 2014年5月のある日の朝刊に、芸能山城組創流四十周年記念の、“山城流スペクタクル スーパー群芸『鳴神』”の記事が目に留まった。「歌舞伎十八番『鳴神』を換骨奪胎、世界の多彩なパフォーマンスと先端テクノロジーとの融合と炸裂。群れが織りなす驚異のスペクタクル。芸能山城組四十年の歩みがここに結集」という謳い文句にあるように、派手派手しい催しが、東京で2014年6月1日にある。俺は新潟で自分が企画した催しがあるので元より行けないのだが、観たい気もするがこけ脅かされる気もする。元々は混声合唱団から出発したのだが、芸能山城組と名乗り始めたのは、1974年にリーダーの山城祥二がバリ島のガムランや口拍子の男声合唱・ケチャの世界に分け入った時から付けた集団名で、群れながら呪術的世界の形成をめざす歌と楽器と踊りのパフォーマンスは、坂本龍一等と文化ジャーナリズムが広めて、80年代にバリ伝統文化ブームを呼んだ先駆けだった。60年の遺産の総てを放棄して自らを失った腑抜けの70年代に、救いを求めてなのか只の冷やかし観光なのか、ビートルズの影響に決まってるだろ、曖昧に大流行したインド詣でと同様に、気合いの入らないフュージョン・ジャズにいかれた腑抜けの時代の80年代に、音楽や芸能文化に携わっているものは知らないと恥だとばかりに、<神の島>バリ島詣でが流行した。
 1992年、新橋のスペース21という所で、わが畏兄・故 金大煥の米一粒に般若心経283文字を彫刻した神業を、顕微鏡で初めて見て驚愕した6月20日から1ヶ月後の7月19日、バリ島のデンパサール空港に立っていた。流行遅れの俺たちを迎えてくれたのは、既にバリニーズになってるかのようなバリ通の漫画家・夏目房之介だった。彼と運転手の迎えを受けて一路島中のウブドへ、着いたところは多くの独立したコテージを持ったホテルだった。バスタブ付きのコテージを選んでチェックインを済ませると、旅の手続きを一切やってくれた飲食店経営のアグース&敏子夫妻に会いにいく。バリ島にアンノン族じゃなくやって来て、アグースに引っかかって結婚したそうだが、日本人の女性はバリの男子にはモテモテなのでよくあるパターンだと自らそう言った。両替をして初のバリ料理を食しながら、敏子アグースのバリ入門者用のレクチャーを聴いた初日は、コテージに帰って初めての南国の島の初夜を過ごすことにしたのだが、椰子の酒は馴れない分回るのが早い。部屋はクイーンサイズのベッドにいかにも南国風の真っ白い繻子の蚊帳が吊るされていて、天井には大きな羽の例の扇風機が回っていた。赤道にやや直下の地は暑くなく湿度も低くてクーラーは必要ない。眠りにつこうとすると周囲の田圃にいるかえるの鳴き声が、一斉に鳴き始めたかのように耳に入ってきて、そのケチャの音楽はたちまち子守唄に早変わりするのだった。
 3日目、車と運転手をチャーターして、バリ島で一番古い町テンガナンに行った。決して大きくないバリ島の中でも、独特の伝承文化を保持していて、例えば、漢字で花文経緯祭礼布とも当て字される縦横絣のグリンシンという布は、バティックはインドネシアの有名な染め布に対して、あらかじめ染めた糸を手織りで織る、しかも1年掛かりで1枚を織る巨大な布で、テンガナンでしか作られない布なのだ。行くと誰しも驚くが、町の入口は幅3mくらいの門に閉ざされていて、入ると町がいきなり広がっているのだ。町といっても日本の町を想像してもらっては困るけど、自らを隔絶して生きる原住民の町なのだ。バリの楽器といえばガムランだが、通常銅羅や竹で出来ているが、テンガナンのガムランは鉄で出来ているくらい文化が違う。
 テンガナンから戻ってくるとアグース&敏子が「今晩偶然にガムラン隊が空いたけどチャーターしないか」と言って来た。テガスのランティール率いるグヌン・ジャティに、プリアタン村で始まったケチャも本物だという。はしたない話だが、申し出に乗った夏目房之介と俺たち夫妻は、3万円を支払ってチャーターした。夜の闇が降り、松明に導かれて古刹の境内に入って行くと、薄明かりに浮かび上がったのは、きらびやかな衣装のガムラン隊と、上半身裸のケチャの総勢5、60人の、群舞とガムランのポリフォニーが俺たちたった5人の観客を襲った。執拗に繰り返すミニマルなリズムと踊りでサルになったケチャの一群に、愚かな人間の魂は簡単に抜かれてしまったと、一瞬錯覚した『ラーマーヤナ』の教え。前の日に観光名所の王宮で観たレゴン・ダンスやガムランと全く違っていた。
 山城祥二だけでなく、「同じ時期からバリ島には行き始めた音楽家だ」と、会えば世界の音楽を語り合っていた友人のYAS-KAZから聞かされていた時、さっさと行っておけば良かったと、その時反省したのだった。