Flaneur, Rhum & Pop Culture

しもきたに這い出した59年目のゾンビー
[ZIPANGU NEWS vol.16]より
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 この欄では1980年の下北沢の街と文化をかいているところだが、その当時から既に高架化か地下化かの小田急線複々線論争があった。それが長年の住民運動の効もあって、03年地下化決定が発表された。
 だが実際は00年には、否もっと前に決定していて、この隙間の数年の時間が何か怪しい。そう、それに伴い実は2年前から緊急事態が発生しているのだ。都と世田谷区は、何と昭和21年の59年前、マッカーサー占領時代に立てた環七幅の計画道路を、下北沢の街をつぶし南北に分断して強行しようとしている。
 その背景には、都市計画を実行すれば引き出せる国庫財源は、道路建設のみならず、小田急線工事も90%国庫負担となる絡操りがある。それに17階ビルが可能となる高層建築には、地権者たちの利権構造が生々しく絡んでくるのも明白だ。
 この行政の「連続立体事業」という名の「街づくり」再開発事業は、環六から環七を抜けて環八まで貫通するという下北沢の「街づくり」とはかけ離れた経済優先の「産業道路」でしかあり得ない。

 世間の人や周りの人は、住民運動などで覆った都市計画の過去の実例は一回も無いと言う。
 では初手から何もやらずに負けるか、一回の実例を作るか。この稿のサブタイトルでもある遊民思想や酒文化や映画演劇音楽も、心ゆく楽しみを奪われてはエッセイだって書けたものではない。
 5月21日、行政の計画を見直せと立ち上がった「セイブ・ザ・下北沢」という市民グループの招きで、立川談四楼師匠、編集長の仲俣曉生と共に、行政案を凌駕する代案作りへ繋げるためのトークをやった。題して「下北沢の文化に明日はあるか」の下、“これがしもきた文化だ”などというものではなく、肯定も否定もない混ぜの曖昧な、けれども“何言ってんだ、しもきただぜ”で得心してしまう、誰のためにでもある<しもきた文化>を喋った。そして今や形骸さえ残さないが、80年当時、俺にとっては「下北沢は日本のグリニッジ・ヴィレッジだ」と名付けたフレーズを思い起こさせた。
 区と密談的に決めていった感はいなめない同時開発の駅前広場(「区画街路10号線」)計画の一部地主や商店街リーダーに対しては、「街全体が広場である」という下北沢の街の特長を提言して、街を現代的な高層ビルが進行する渋谷化して、渋谷からの客を宛にする商店街の連中に対しては、「そうなったら皆は渋谷を選ぶ」と簡潔で明瞭な答えを用意した。
 二部は、会場が自分も関わりを持つ「シネマアートン下北沢」だったこともあり、先に選ばれた7本の短編作品のコンペ上映だった。テーマは勿論<しもきた>だが、5分と限定された中で捉えたしもきたへの愛は溢れ出ていて、当然皆違っていた。金子みすず流にいえば「みんな違ってみんないい」だ。
 グランプリに輝いた彼がプロになって、いつかこの映画館で初監督作品上映なんてことになれば、それこそ文化のお釣りを果たすことになるのだが、そのことを再開発の人たちは判っているのだろうか?