Flaneur, Rhum & Pop Culture
「LADY JANE」又は下北沢周辺から LADY JANE LOGO












『ざわざわ下北沢』を乗り越え、シモキタを再起動すべし!
[季刊・映画芸術451号より]

VOL.26

 二〇一五年四月五日「レディ・ジェーン」で、hi-posiのもりばやしみほの歌とピアノ、赤井由絵のグロッケン、近藤研二のギターのライブをやった。一曲目からいきなり、俺の映画人生で一番好きな女優と言ってもいいジャンヌ・モローの歌「私はあなた方」だったので焦った。数曲続けた後「茶々&ちび」という歌だった。二〇〇五年に作った最後のアルバムの曲だから十年前になる。そんなにのんびりやってる音楽家は他に原マスミくらいしかいないだろうと思ったら、どうも二人はのんびり度を互いに忠告しあい競いあっているらしい。「茶々&ちび」は副題に「三角橋の猫」と付いている。三角橋は通称・東大宇宙研通りを東北沢方面に行った場所で、目黒区と渋谷区が隣り合っている所に世田谷区も接していて東端に当たる。その命名の由来となった三角橋を南西に行けば下北沢だ。つまり、茶々というノラ猫はシモキタザワ猫町の現代的復活であって、もりばやしみほはその使いとなって歌ってきた。
 「猫町」とは昭和八年頃、下北沢一番街から代田に引っ越してきた萩原朔太郎が書いた唯一の短編小説の題名だ。朔太郎は女物の下駄を突っかけて、幻想の町・下北沢を彷徨していた。やや高い場所に今も続く屋敷町から下って駅へ出る。一番底辺にある駅の南口と北口を結ぶ地下道は、暗く小便臭い雨水がいつも溜まっていて朔太郎ならず魔界だった。以来、下北沢は猫町と呼ばれるようになる。後年住人として回遊していた吉増剛造も「ここ下北沢、不吉」と読んでいる。つまり、小説家や詩人にとって想像力を掻き立てる〈魅力的な〉街だった。横光利一、石川淳、田村泰次郎など文人のことは先号の繰り返しになるが、新しく下北沢を継いだ小説なら、金子ボクシング・ジムのカシアス内藤を追った沢木耕太郎の「一瞬の夏」や、テレビドラマ化された石田衣良の「下北サンデーズ」などあり、よしもとばななは「もしもし下北沢」以降、下北沢物語を連続執筆中だ。往時の映画で言えば、松林宗恵監督が証言していることだが、山本嘉次郎や黒澤明が遊び、谷口千吉や豊田四郎、成瀬巳喜男が喫茶店や酒場を常日頃ハシゴしたと。一九七一年のある日、西村昭五郎監督が連れてってくれたバーも、同じみずほ銀行脇の井の頭線沿いの店だった。
 そこには邦画娯楽映画の上映館グリーン座があった。同じ下北沢北口の今は洋服のサカゼンになっているアート系映画の下北沢映画劇場、南口には今フーディアムになっているピンク映画の北沢エトワール、スポーツジムになっている洋画一般のオデオン座と計四館の映画館があった。しかし、オデオン座を除いて七〇年代を待たず次々と閉館した。時流れて今やシモキタの唯一の映画館「トリウッド」がある。おもちゃ箱をひっくり返したような街にパンドラの箱とでもいうか、再開発に喘ぐ街、下北沢の十二年の記録をドキュメントした映画『下北沢で生きる』を昨年末に作ったことは前号で述べた。封切り上映後、支配人の大槻貴宏が再上映を考えてくれた時、「それならこの際、シモキタを舞台にした映画に集合願って、特集を組みませんか」と言った案がすいすいと実現した。仰視もしなければ俯瞰もしない街にある映画館なればこそ、実現する話ではないか。映画は映画館を選び、観客も映画だけでなく映画館を選ぶのは当たり前のことだ。そんな肩を寄せ合って生きているような無名性の街・下北沢を舞台にした映画を特集上映する。
 下北沢密着映画という言い方でいえば、『TOKYO EYES』(98ジャン=ピエール・リモザン)が最初だった。拳銃事件の犯人の似顔絵に似た若者K(武田真治)を見かけた美容師見習いのヒナノ(吉川ひなの)は、興味を抱き下車した下北沢の街で待ち構える。南口の一階がドトールで二階にツタヤがあった時代の下北沢駅前から東北沢に向かって線路沿いを歩き、金子葬儀店と第一銀行(今スーパー・おおぜき)の角を左折して踏切りを渡ると、パチンコ屋・ワールドだった。薮睨みとあだ名されるKが駅前市場に入っていく。右側のメイジン・スポーツ店、左には狭い路地を更に狭くさせて八百屋がズラーッと並んでいる。魚屋柏で干物を買って右折すると、北口駅前道路の博文堂書店と先のボタン屋すみれ。と、いきなりカメラは南口商店街と並行した路地のKを追う。床屋、美容院、マッサージ屋の先は俺が六〇年代末にバーテンダーのバイトをやってたバー・どーむ、一番旨い無煙焼肉屋桔梗亭、突き当たりの一階はパチンコ屋、二階は松田優作と良く出会った南口サウナ、三階は元ダンスホールを、吉沢京夫の劇団京がスタニスラフスキー・メソッドを研究するために開設した稽古場だった。映画『日本の夜と霧』(60)は、監督の大島渚が松竹を退社する原因になった作品だが、京大の劇団創造の仲間だった吉沢京夫は、映画で寮自治会委員長役をやっていて、同僚や後輩にショスタコービッチの交響曲「革命」が如何に優れて革命的であるかを、得々と語る厭味なシーンを思い出して、旧ソ連のスタニスラフスキー演劇を研究する学究の場を構える彼と役がダブって見えた。ここを借りて表現の場に変革したのが、斜光舍の竹内銃一郎(当時純一郎)の芝居「檸檬」や「ドッペルゲンガー」だった。という具合に、今観直すと路地や路面を追ってばかりで、映画が観えなくなってくる。掲げた屋号の一切が今は無い。俺の五十年の街と生活の関係性が作った罪だが、それだけ開発で解体されているとも言える。シモキタの路地は人生の迷宮遊園地だ。
 廣木隆一監督の『I LOVE YOU/魔法のボタン』(13)は携帯電話用に作った映画というから時代の驚きだが、当然映画館未上映作品だ。カメラは小田急線地下化後の街の変化を意識化していて、物語りもそんなシモキタでノラのように生きる若い男女の恋を描く。昔からいたな、自分のことをオイラとかアタイと呼んでいた女の子。多部未華子がはまっていてメチャ可愛く、『夜のピクニック』(06 長澤雅彦)を思い出した。相手の池松壮亮と呼吸もぴったりだ。そんな映画が、極小画面からまさかスクリーンで観れるとは廣木監督も製作のエイベックスも思ってなかったはずだ。
 他にも未上映作品がある。二〇一五年一月に出来た『世田谷ラブストーリー』は、バックナンバーというバンドが昨年リリースした同名曲に惚れた、行定勲監督が映画化した短編で、イラストレーター見習いの若者・千次(浅香航大)は壁のピンナップ写真に写っているいちこ(清野菜名)に恋をして、三軒茶屋三角地帯(未開発の一角)の店に誘いデートを重ねるが、時間が来て終電の下北茶屋駅まで見送りを繰り返すだけ。「『世田谷ラブストーリー』は誰にも一度は経験のあるもどかしい恋心を描いた名曲である」(行定監督談)。
 もっと新しい湯気の立っている未公開映画がある。長い音楽活動を続ける甲斐よしひろ&甲斐バンドの不滅の楽曲、それぞれ五曲にインスパイヤーされた五人の監督が、一本の短編映画集『破れたハートを売り物に』を作った。五作目の青山真治監督の『ヤキマ・カナットによろしく』は「HERO」が下敷きだ。映画スタントに失敗して大怪我を負ったジョー(光石研)が、シモキタの遊歩道の階段を松葉杖を突いて降りてくる。そこは俺にとって犬の散歩の定番の場、「草の丘広場」の一人掛けベンチには、コンビニ弁当を食べる人、仮眠する人、幼児をあやす爺婆、行き場の無い人など慎ましい一角がある。そこが本当は似合うのに、ジョーはバーで一流の酒を気取ながら、一流の愚痴を延々と垂れる。出ていくヒーローの背中にブルース・ハープが流れる。
 『かえるのうた』(05 いまおかしんじ)と『僕らは歩く、ただそれだけ』(09 廣木隆一)は昨年の「下北沢映画祭」でトリウッドで上映済み作品。『ざわざわ下北沢』(00 市川準)は街の映画館「シネマ下北沢」が作った記念碑的作品、今さら言う事無し。皆さん、乞うご期待!