Flaneur, Rhum & Pop Culture
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吹きだまりが似合ってる二つの街
[季刊・映画芸術448号より]

VOL.23

 七月に入ったある日の朝刊に、「平和望む句 なぜ拒む」の見出しが目についた。さいたま市の三橋公民館が毎月発行している「公民館だより」に俳句を連載しているが、約四十句から一句を選ぶ選考会が行なわれた。殆どの選者が選んだ句は<梅雨空に「九条守れ」の女性デモ>だったらしいが、後日「掲載できない」と電話があった。問いただすと、公民館長から「意見が二つに割れている問題で、一方の意見だけを載せるわけにいかない。七月号は俳句欄を削除する」というものだった。市民の表現を拾い上げる便りが税金で賄われているのに、呆れるどころか恐怖を想像する。戦前の大政翼賛会の復活で、国家と自治体と町内会の隣組を一本化した国体を作ろうとしているのか?!
 「二千坪ほどの土地に、三百軒余りの飲み屋がひしめき合う。その雑然たるたたずまい、混沌とした雰囲気故に、新宿ゴールデン街には闇市時代の面影が残るといわれるけれど、これは錯覚である。由緒正しき都市ならば、当然かかえこんでいる悪所でもないし、足踏み入れたとたん身のすくむ裏町とも違う、女子供が深夜一人歩きして、何の危険もなく、また、孤独な青年が迷いこんで、とてつもない美女の情けにめぐり合うことも考えられぬ。……バアビルの殺伐さに較べ、贅沢な街との印象をいだくはず」(野坂昭如著「20世紀断層 野坂昭如単行本未収録小説集成?・花園ラビリンス 新宿ゴールデン街物語」より)
 『つぐない〜新宿ゴールデン街の女〜』と題したいまおかしんじ監督が撮った新作がある。ある夜、曰くありそうな女がゴールデン街のバーにやってくる。流しのミネンコフが入ってくる。“何故にわたしが殺さにゃならぬ……”と歌うと悪酔いして表に飛び出す女。女はバーのママの今のヒモに用事らしいが、迫ってきた男(山科)を受け入れる。そうして、いい加減な二人の女と二人の男の物語りが始まる。始まって早々、先生と呼ばれる男が酔っぱらって、前述の引用の言葉を店のカウンターで演説する。終えると、今度は山科がそれを受けて「すでに花園、ゴールデン街の時代は終っている、祭は終った、酔いは醒めた。ぼくはただ、この巷の、建物いっさいが取払われ、二千坪とやらの、空地となった風景をみてみたい、多分、高層ビルが建つのだろうから、基礎工事の穴を深く掘る、その穴をのぞきこんでみたい」と引用を続けるシーンがある。彼たちは野坂昭如の言辞を認識して受け止めつつ、いい加減に吹きだまりに棲息している善良な人たちなのだ。
 元々ゴールデン街と言えば、新宿駅東口にあった<闇市>を、撤去した代替地として押し込めた一角で、もぐり営業の飲食店は売春街であり青線地帯と言われた。昭和三十三年の買春防止法以後、ゴールデン街と呼称を変えようが悪所であり、市民生活とは結界の地だった。治外法権があった。逆に文壇バーや新左翼がそのバーで、談論風発が過ぎて血の雨が降ろうが、おかまバーでボッタクられようが、それは中でのことだった。野坂昭如が書いたのは一九八六年、今から二十八年も前でさえ、かように変貌していたことを思えば、今や何をかだろう。南側の一部と靖国通り沿いの地権者たちは、再開発を進める「まちづくり懇談会」を二〇〇六年に立ち上げている。
 映画『つぐない』はそんなゴールデン街に愛の視線を投げる。悲しそうな男がいれば女は股を開く。今も昔もだ。田中陽造が昔言っていた。「ストーリーテリングっていう意味では、東映はハナシで持たせろって。それでポルノも見せると、だからどっち付かずになるね、監督はどうしてもハナシを追っちゃってさ。だからピンク映画が一番ポルノ度があるっていうのは、ハナシが無いからファックシーンで見せて見せて、だからいいんだよ」と。その伝で言えば田中陽造を裏切る、数あるファックシーンもストーリー展開の流れにあっていい感じだ。ゴールデン街が映画と一体化していて画面が濡れているのが良い。
 とは言え、野坂言説をとっくに<認識>したつもりか、<大人>になったからか、又はゴールデン街が<子供>になったからか、俺自身今やそれほど足を運ばない。管理された新宿がつまらないのだ。新宿の街にあってゴールデン街という結界はとっくに崩れ、つまらなさが逆流しているのだ。それ故愛しくもあるのかも知れない。先日、土日だけ「中ちゃん」を借りてやっている、おみっちゃんこと佐々木美智子に会いに行くと、五十年戦士やら四十年戦士やらが狭い店内に入れ替わり現れて、ゴールデン街学校の同窓会の風情になった。そうなれば、席はなかなか立ちづらく次第に昔話に嵌っていく。勿論それも良かれなのだ。嗚呼「むささび」、「ゴールデンゲート」や「黄金時代」。
 一九六七年、第一次、第二次と羽田闘争があった。口内と右腕をギブスした俺は、当時住んでいた中井の高台にあったアパートから、眼下に新宿を一望していた。ネオンに渇望し出掛けるのは必ず新宿だった。その頃だったはずだ、ゴールデン街に参入したのは。歌舞伎町の 「ジャズビレッジ」で、客番長だった一力干城の愛人で、演劇やぶにらみ同士だったペコこと太田喜代子(通称キヨ・二〇〇五年死去)が「薔薇館」でバイトを始めたからだ。当時「これで歌舞伎町は卒業かな」と思った。一店通過できれば、後は勇気に任せて突進するばかりだ。とは言え「桂」は行けても「まえだ」は行けない。「薔薇館」と区役所通りを挟んだ対面の「小茶」をベースキャンプ地にして、乗り越えていった。その内七一年になると、ペコは独立して「唯尼庵」のオーナーになり、エミコとケイコが「薔薇館」の場所に「比丘尼」を出したり、キョウコの「デタラメ」が出来たり、河合知代が「ジュテ」を、「演劇集団・変身」の俺の同僚で、ペコと同じはぐれ狼組のひろ新子が「クラクラ」(後に外波山文明が引き受け営業中)を、クロの「久絽」に行ったのも同じ頃じゃないか。新しくても周子の「やんややんや」くらいが最後の店だと思う。無くなった店は数知れずとも店名が思い出せない。新しい店も数知れずとも行く気がない。
 大学は六四年から七〇年でやっと卒業した。一九六八年十月二十一日、新宿駅が火の海となって騒乱罪が発令された。それからしばらく経った時期、お茶の水の中央大学の隣りは明治大学だが、演劇青年と翻訳家の関係になって親しくなれた中田耕治教授の、テネシー・ウイリアムスやアーサー・ミラーの講義をもぐり生徒になってよく通ったのだが、実は明治大で女闘士として、その名が売れ始めていた重信房子に一目会いたかったからだと、記憶が蘇った。今、彼女のドキュメンタリー映画『革命の子どもたち』('11監督シェーン・オサリバン)が上映されているからだ。一九七一年にベイルートのベカー高原で、パレスチナと結合して日本赤軍を組織したと知った時のショックは相当で、ますますシラケと諦念がない混ざり引き蘢っていった。片や、ゴールデン街大学の方は六七年から何年まで掛かったろうか、今だに追試の予習復習がある。
 『つぐない』に戻ると、映画が終ってエンドロールになるや、いきなり「鴨ちゃんへ」とクレジットが出てきて俺を驚かした。前々号の当欄で触れたいまおかしんじと鴨田好史の関係を思えば極く自然なのだろうが不意をつかれた。
 ゴールデン街の友だった鴨ちゃんの監督作品に、『聖少女・濡れた花園』('97)というVシネがある。若くして死んだ伝説のサックス奏者・阿部薫に憧れる若者(水橋研二)と、オペラ歌手を夢見るイメクラ嬢(沢木麻美)の話。主人公はタイトルからしても女なのに、鴨ちゃんは若者に思いを託している。音楽を「渋さ知らズ」の不破大輔がやっていて、音楽も若者の肩を持っているようだ。一九七八年に二十九歳で、「誰よりも速く、アンドロメダよりも速く吹くんだ」と言いつつ逝っちまった阿部薫を追随するなんて、いかにも鴨ちゃんらしくて、ゴールデン街らしくて切ないよ。エンディング音楽が、阿部薫がよくライブで演っていた「アカシアの雨にうたれて」だなんて、いかにも鴨ちゃんらしくて、ゴールデン街らしくて切ないよ。
 ところで、二〇二〇年の東京オリンピックの年に、ゴールデン街もわが街シモキタも残っているのかどうか、この国や東京都の顔が見えない。