Flaneur, Rhum & Pop Culture
「LADY JANE」又は下北沢周辺から LADY JANE LOGO












シモキタから旅立った<夜の旅人>のさすらい
[季刊・映画芸術442号より]

VOL.17

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったのは、ドイツの鉄血宰相ビスマルクの言葉だ。解釈はさまざまだろうが、〈愚者は自分が経験するまで学ぶことができないが、賢者は歴史に学ぶから過去の教訓に対応できる〉とするのが通常の解釈だろう。だが今日の日本の状況を眺めて言うと、〈愚者は同じ経験をして学ぶが、賢者は歴史を放棄して学ばない〉が正解だ。〈賢者〉は〈愚者〉を統治して、日本人全員がアメリカの下僕となって金の亡者に成り果てているようだ。そして真の賢者は出ない。
 下北沢の街の店が去年一年間で、俺の親しくしているだけでも十数軒が閉店した。しかもシモキタをシモキタらしくしていた古い店ばかりだ。国土交通省の決定を受けた東京都と世田谷区が、小田急電鉄を抱えて進める下北沢再開発がもたらした契約更新料や家賃の高騰が主な原因だ。ところが実際は、小田急線地下化工事が進んでいるだけで「下北沢再開発」はまだ一歩も着手していない。地下化が竣工すれば「再開発」は本格化する訳で、ますます金を持った企業量販店がのさばって街は激変するだろう。下北沢が解体の叫び声を上げているのが聞こえないか!と言った瞬間、「何言ってんだ、東北を見ろ!」と何処からか叱咤が飛んできそうだ。いつもそうなのだ日本人て奴は。
 津島佑子が言う。「三・一一以来、ふしぎな抑圧がこの日本では働きつづけている。東京の線量ごときで騒ぐとは、これと比較にならない高線量の場所に生きるひとたちを苦しめるだけの心ない行為ではないか、と責められるような気がして、口を閉ざしてしまう。(中略)『人情』が、最近の日本社会でとても肯定的に語られるようになっていること、そのこと自体が、私にはおそろしく感じられる。『人情』という正体不明の『空気』が放射能汚染を軽視し、本当の責任を問うべき対象を見失わせることになる」(東京新聞「草がざわめいて」)と。三・一一以後の窒息状況をずばりと指摘した文章に出会って、咋年十二月中旬、俺は瀬戸内海の小さな島々を巡る旅に出た。いい年だし心の来し方行きし方を思ってみようとした。
 四泊五日間で渡った十二島、食堂も乗り物も宿も何もないと分って泡を食った佐木島、樹齢が高じてみかんの収穫が減った島、レモンやオリーブに切り替える島、故原田芳雄、尾野真千子が主演したNHK広島のドラマ「火の魚」('09 黒崎博演出)や、アニメ『ももへの手紙』('12 沖浦啓之監督)のロケ現場になった大崎下島が極めて歴史の島だったこと、『東京家族』('12 山田洋次監督)のロケ現場になった大崎上島は橋のない離島だったことなど、感興を呼ぶ。だが何が奇妙な感覚かというと、船便にしろ渡船がない場合のJR線にしろ、二、三時間に一本なので乗り過ごすと旅が止まる。ゆったりしているがひどく緊張を強いられているのだ。現地は少子化で学校は廃校、過疎化は進んでどの島も不安を加速させるが、これも〈『人情』という正体不明の『空気』〉なのだ。勿論裏に政治のあり方が透けるのは気に入らないが、こんな場所で暮らすのはどうだろうかと思いがよぎった。映画も島も旅の内、そうして今年も四十六年旅する下北沢で新年を迎えた。
 二〇〇六年の下北沢の話だ。当時あった映画館・シネマアートン下北沢に一人の男がやって来て、支配人の岩本光弘に言った。原作者の連城三紀彦に手紙を書いて映画化権の許諾を受けたこと。脚本(浅野有生子)はできていた。「熱烈な出演依頼のお手紙をもらいました。最初は変なヤツだ、と思っていたんです。何度か会ううちにだんだん面白くなってきた。何者なんだという妙なひっかかりが、前向きな興味に変わったんですね。この男の物語の中に加えて欲しいと思った」(下北沢経済新聞より転載)と、主演の大杉漣は出演を快諾していて、ヒロインの内田量子も決まっていた。こんな技がどうして素人のプロデューサーに出来るのかと、顧問のかたちで映画館に関わっていた俺も訝ったが、夏でもないのに汗を噴き出して東西奔走する彼の人柄を見て納得した。プロデューサーの小池和洋が指名した監督は門井肇という長編劇映画の初監督だったが、「今回の映画の監督である門井監督の過去の作品を見た『シネマアートン』の岩本支配人だけが『この人が撮った作品ならば上映してもいい』と返事をしてくださった。お金儲けを目指す劇場とは違う、インディペンデント性を感じました」(同インタビューより転載)と大杉漣が言う通り、支配人の岩本はキャスティングに榊英雄を紹介して、小池プロデューサーが集めた未知の五百万円映画の上映を決めた。こうして、初監督、初プロデュース作品『棚の隅』は撮入していった。
 雨の日、東京郊外のさびれた玩具屋を営む男(大杉漣)の元に、夫と幼子を置いて家出した元妻(内田量子)がやってきて、棚の隅の売れ残りの古いおもちゃを買って行った。成長した子どもに寄ろうとする女と、継子に実母のように慕われている現在の妻(渡辺真起子)の間で、つつましく暮らす男は葛藤を重ねて家族のあり方に向かう。〇七年三月十七日が封切りだった。 その頃、シネマアートン下北沢は、ミニシアターとしての苦渋を味わっていた。上映可能な映画は新作もあれば厖大な旧作群もある。何回か映画館を回ってふるいに落とされた新作をやるくらいなら、成瀬巳喜男や川島雄三や豊田四郎の旧作をやる方が、受けも客の入りも良かったが、それでは名画座になってしまう。若手のドキュメンタリーや実験映画を大学や学校と提携上映しつつ映画館的癖を出していたが、やはり同時代に生まれた新作劇映画が欲しかった。そんな思いにスムースに入り込んだのが『棚の隅』だった。創り手も送り手も客も幸せになった稀有な例ではなかったか。
 翌二〇〇七年、小池和洋と門井肇のコンビの第二作は吉村昭の同名短編小説を原作にした『休暇』。子連れの女性(大塚寧々)と結婚を控えた刑務官の男(小林薫)の、死刑執行の〈支え〉役を務めるともらえる一週間の休暇を前に悩む、命の意味と家族へ向かう思いの行き交いを描いた。同作はトロント国際映画祭に招待され、ドバイ国際映画祭審査員特別賞受賞、ヨコハマ映画祭ベストテン第十位など高い評価を得た。
 そして二〇一二年のコンビ第三弾が、推理作家・逢坂剛の短編「都会の野獣」を原作にした『ナイトピープル』だ。タイトルが表すように、愛する女の死という過去を背負うバーのマスター(北村一輝)、男に接近する謎の女(佐藤江梨子)、企み顔の怪しげな刑事(杉本哲太)ら、裏社会=夜に生きる男女が、強奪された二億円を巡って虚々実々の駆け引きを展開する。愛も友情も罠のひとつ、嘘の重なりで裏切られ、三転四転予測不能のどんでん返しが続き、山梨の町を舞台にした映画の終局は市街での派手な銃撃戦だ。文芸作品第三弾とはいえ前二作とは質が違う。三・一一後の閉塞状況という〈戒厳令下〉に抗する今日では、騙しあいや銃撃にまでいかねば、映画的感情が創出できないのだろうかなどと、監督の登場人物への感情移入や抑制したアクションの演出を見ながら思った。弾丸に賭したい思いは俺にもある。
 二〇〇八年六月十四日、シネマアートン下北沢は息を引き取ろうとしていながら、『四畳半革命 白夜に死す』(世志男監督)を最後の二日間上映した。『ナイトピープル』で執拗に二億円を狙う悪漢役が、この映画がデビュー作だった三元雅芸だ。最後まで映画館を残そうと戦ってくれた福島拓哉監督が翌年に撮った『アワ・ブリーフ・エタニティ』には断末魔の声を上げているアートンの遺影が記録されていた。スチールの五味譲、俳優の川野弘毅がやはり『ナイトピープル』に参加している。そして何よりの因縁は、支配人だった岩本が小池和洋と共同プロデューサーになっていることだった。「小池和洋がアートンに『棚の隅』のシナリオを持ってきた時から『ナイトピープル』は存在していたのかも知れない」と岩本は言った。