Flaneur, Rhum & Pop Culture
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みんな寝ているから電気が余ってる
[季刊・映画芸術にて連載中]


VOL.24

 去る三月下旬、NHK教育番組の「知るを楽しむ・私のこだわり人物伝」で、前号で書いた武満徹をやっていたので、留守録して出掛けた。翌日チェックした収録番組を見終えると、続いてチェット・ベーカーのスタジオ録音風景写真が映り、「和音さえ知らなかった」と言葉がオフでかぶさった。去年録画したまま忘れた使い古しのテープは、続いて「冒頭の音を確認すると、後は自由に吹いていった。耳だけを頼りに」と言いながら、五十年以上前にチェットに贈った曲「ザ・ウィンド」のデモ・テープを掛けるピアニストのラス・フリーマンの姿が映し出された。ラスのピアノのイントロからストリングスが入り、やがてチェットのペットが重なると、自身のモノクロ写真がゆっくりパン・アップして大写しになった。瞬間、チェットの生涯を追いかけたドキュメンタリー映画『レッツ・ゲット・ロスト』(88 B・ウェーバー監督)かなと思ったが、「ヘロインはパーカーだけじゃなく、東でも西海岸でもやっていた。アート・ペッパーとカルテットを組んでいた時……」とラスが続けて、麻薬刑務所を出たばかりのサックスを抱えたアートが映って違う映画だと思い直した。それは、どうも高名なジャズの写真家ウィリアム・クラクストンの写真が原材になっていると気づき、頭を十分武満徹に切り取られたこの作品は、最後のエンドロールで次のように判明した。ドイツ・ユーロアーツ社とノース・バイ・ノースウエスト社が二〇〇一年に製作、『カメラが聴いたジャズ』の原題は「JAZZ SEEN THE LIFE&TIMES OF William Claxton」、監督ジュリアン・ベネディクトだった。放送はNHK・BSの衛星映画放送で〇六年の八月だった。俺は瞬間あることを思い出した。

 やはり三月某日のこと、写真家の荒木経惟氏と一緒に下北沢「レディ・ジェーン」にやって来た出版社タッシェン・ジャパンの里見靖男氏から、巨大な抱えるに難儀な重量の写真本を贈呈された。写真家ウィリアム・クラクストンとドイツのジャズ評論家兼プロデューサーのヨアヒム・ベーレントによる「JAZZ LIFE」。六〇年、アメリカ中で撮った二人による写真集「ジャズ・ライフ」がドイツのブルダ出版社から上梓された。それに未発表作品、手記、当時収録したJ・コルトレーン、C・ウィリアムス、R・カーク、ゴスペルやスピリッチャルの教会音楽をCD化して加え、再編集してタッシェン社から復刻されたそれは、英語、フランス語、ドイツ語の解説と手記、サイズ291×407ミリ、総ページ696のハードカバー、BOX入り、サイン入り、スペシャルプリント四枚付きという代物なのだ。因みに、本ではなくて美術品としか呼びようのない超大スケールのこの「SUMO」シリーズは、〇〇年ヘルムート・ニュートン写真集を皮切りに、レニー・リーフェンシュタールの「Africa」、最新のモハメド・アリの「GOAT」など種類は極く些かだが、その中で〇二年、荒木経惟の「ARAKI」が出版されたのは特筆すべきである。

「JAZZ LIFE」は、紹介記事に依れば「発端は五九年秋に、三十二歳の気鋭のジャズ写真家クラクストンの自宅にかかってきた国際電話だった。「一緒にジャズのすべてを見たいんだ」。ドイツのヨアヒム・ベーレントからだった」ということで始まった。ジャズに吸引力があった時代、学生時代からジャズ・シーンを撮り続けていたアメリカ人のクラクストンは、ドイツの気負いの評論家のディレクションで、シボレー・インパラを駆使して四ヶ月間でニューヨークを始め、ニューオリンズ、ルイジアナ、メンフィス、セントルイス、カンザスシティ、シカゴ、ニューポート、ロサンゼルス他、西海岸の主たる町を、ジャズのルーツに沿って隈なく撮影した足跡が作品から読みとれる。更に臨場感を圧倒させるのは被写体に名を連ねる顔ぶれだ。ライブやレコーディング・シーンばかりか、楽屋や私生活で歓談するビッグスター・ミュージシャンのオンパレードで、名を挙げ切れるものではない。個人的に言えば、二十年代のベルリンにあった伝説の誇大妄想狂カフェ「ロマーニッシェス・カフェ」の中心客だったダダイストの画家ゲオルク・グロスの息子マーティ・グロスが、シカゴでバンジョー弾きになっていたのを発見するなどは溜息ものなのだ。

 俺はその店名を盗用して八五年から十三年、西麻布でカフェを開いていたが、元祖「ロマーニッシェス・カフェ」に対する落しまえとして、八七年ベルリンにその幻を表敬訪問した。テーゲル空港からベルリン在の友人でピアニストの高瀬アキに電話を入れると、C・ベーカーがアムスのホテルから薬で飛び降りて死んだと言った。クーダムの超近代的に建て替ったオウロパ・ツェントレル(ヨーロッパ・センター)の二階の一角にRomanisches Cafeの小さな文字を見付けた翌日、今度は噂に聞いたその店の本をベルリン市中探して、シェーネブルグのデパートに入っている本屋で遂に入手した。ページをめくると、正しくゲオルク・グロスの絵や記事が、画家で客番長格のマックス・スレーフォクトやエミール・オルリク、作家のトーマス・マンや『キャバレー』の原作者シュニッツラー、作曲家のクルト・ヴァイルに混って紙面を飾っていた。そして翌日の夜は、高瀬アキとポルトガルの歌姫マリア・ジョアンのコンサートでドイツ表現主義を体験した後、パーティに招待された。その席でアキに紹介されたのがヨハヒム・ベーレントだった。こっちもジャズをかじっている端くれ、当然名前は知っていた。どこの国でもそうだが、高名で年輩になると決まって保守体制派になってしまう。彼もそうだと知っていた。アキの夫でヨーロッパ随一のフリージャズ・オーケストラ、「グローブユニティ・オーケストラ」のマスターで作曲家でピアニストのアレキサンダー・フォン・シリッペンバッハが、俺に小声で「彼は俺たちの側にいないよ」と耳打ちした。
 はて、この話を引摺ると場外になる。とまれ、二人による「JAZZ LIFE」に驚嘆する。サイズもそうだが視点と熱情にだ。そしてそれに関連した映画『カメラが聴いたジャズ』の話に戻すとしよう。

 モノクロの映像に古い4ビート・ジャズが流れて、雨でも降り出したらもう憧れのアメリカがそこにあるようだ。出会ったペギー・モヘットはトップモデルとしてアメリカのミューズ美神に登りつめ、クラクストンもファッション写真に目覚めるが、音を撮り込むジャズ写真家なのだ。西海岸らしさにこだわったレコード・ジャケットは、浜辺にスーツ姿のライトハウス・グループを立たせたり、ヨットにチェット・ベーカー・クルーを乗っけたりした。最たる例はソニー・ロリンズが初めて西海岸にやって来た五七年、砂漠にカウボーイ・ハットをかぶらせて立たせた。東に帰ると仲間から失笑されたが、そのアルバム「ウェイ・アウト・ウェスト」は絶賛され、ジャズを知る者なら誰しも知るロリンズの数あるアルバムの中でもベストに入る傑作になった。又、六〇年にベーレントとルイジアナのアンゴラにある州立刑務所の黒人棟を選んで訪ねる件りは、ひと際印象に残る。囚人となったブルースマン、オージェン・マキシは歌う。

 電気椅子の処刑は真夜中だ
 みんな寝ているから電気が余ってる

 後年、写真家のJ・ラケーチと、R・アヴェドンの写真についてその唯一無二性を語り、モンテカルロにH・ニュートンを訪ねて、「形を作って機械的に撮る。そのためには綿密な準備が必要だ」とするニュートンに対して、「被写体に自分を信頼させる。後はシャッター・チャンスを待つ」クラクストンは、音を肌で感じて写真に移し替えていると評す論者に、「カメラの存在が邪魔だ。こんな人工的な機械抜きで、まばたきで瞬間を保存する。それがかなわぬ夢なのだ」と言い放った。