Flaneur, Rhum & Pop Culture
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『夜の流れ』に棹させば流される
[季刊・映画芸術にて連載中]

VOL.5
 六月の或る夜、一人の若者が“ナルセ、ナルセ”とレディ・ジェーンで言っていた。無声映画の『夜ごとの夢』(33)しか観てないという。それで成瀬?と思ったが、誰かに吹かされたにしても真面目に観たがっていた。成瀬映画はビデオ・レンタルに無いので、『浮雲』(55)、『晩菊』(54)、『山の音』(54)など観せてあげることにした。
 『驟雨』(56)は、戦後の姿を残しつつものどかで平凡な住宅地(世田谷梅ヶ丘)に住む、生活にくたびれた倦怠夫婦(佐野周二、原節子)の話。日曜の朝、裏庭を眺めながら欠伸をする夫、編物をしながら新聞の切り抜きの献立記事を見つつ欠伸をする妻、晩ご飯が決まらない。そこへ姪(香川京子)が新婚旅行から逃げ帰ってくる。姪に対する反応で夫婦の溝を明らかにしていく鮮やかさ。この手法は同じ小市民世界を描いた『めし』(51)でも同様に、子の無い夫婦(上原謙、原節子)の家に姪(島崎雪子)がやってきて波紋を投げる。又、隣に越してきた若夫婦(妻の根岸明美は当時、和製モンローなどといわれた)と映画に行こうとするが、原節子はつまらなさそうに言い訳をして行かないのだが、『めし』でも、義理の叔父の上原謙がお気に入りの島崎雪子を市内見物に誘う時も、原節子は気乗りせずに断る。只、林芙美子原作の『めし』が、生活の川に泳ぎ疲れた男の側で、女が陰鬱として自問自答して終えるのに対して、フワリと上り行方定めぬ紙風船を必死で叩き合う夫婦の姿態のラストは滑稽にして軽妙だ。一対をなす両作品ではあるが、それにしても、ナルセミキオのヤルセナキオとは!風船といえば、風船のようにアッチコッチしている不道徳な金持ち父子を描いた川島雄三作品に『風船』(56)があるな、と思っていると、NHK・BSで川島特集を四本放映していたではないか! 俺の頭の中では、ナルセといえばカワシマと連鎖記号になっていて、セットで納受されている。撮り方や発想は勿論違うが、映像を構成する視点や素材の選択、画面の奧に描きたいものとかに、多く共通するものがあるように思うのと、実力の割に二人共売れてないということからかも知れない。
 ところで、『女であること』(58)は川島監督作品であるが、東京の著名な弁護士(森雅之)宅に、妻(原節子)の親友の娘(久我美子)が家出してきて、オジサマの森雅之になついて人間関係を掻き廻す。――何? 先の二作品と設定がクリソツじゃないか! 混がらがるが、ま、流すか、小津の作った迷路はこんなものじゃない。――殺人犯の娘(香川京子)も引き取っていて、二人の対比も面白い。ここでの原節子は、小津安二郎作品に見られる、ツンととり澄ました気色でもなく、成瀬作品の生活臭を持つ故の親しみやすさでもなく、オンナを出して若い娘に対抗しているところが川島流だ。
 余談だが、陸奥と津軽は違っても、同じ青森出身の川島雄三の太宰嫌いは有名で、「あんな奴、何が上流言葉だ!」と罵倒したが、『風船』(大佛次郎原作)と『女であること』(川端康成原作)は、川島雄三としてはめずらしく上流言葉で、矛盾しているからおかしい。近親憎悪ってことか。それかあらぬか、『女であること』のタイトル・バックでは、“オンナデアルコトハ……”と主題歌を、シスター・ボーイ(おかま)の丸山明宏(現美輪明宏)に画面上でクネクネ歌わせているのが、いかにも非現実的、破滅的な川島流悪戯ではある。成瀬はそういったことはしない。『浮雲』のリフレインするボレロ曲は、営々とした男女の営みを象徴して心に浸み入り、『鰯雲』(58)の時代の潮流に田畑を潰さざるを得ない百姓家で、それに抗うかのような村人が歌う地鎮の歌は、残酷にもきれいなシーンだったが、成瀬作品ではこの二作品しか音楽の記憶がない。川島作品となると、『洲崎パラダイス』(56)で“濡れたネオンにまた身を焼いて……”てなC調な歌を出前持ちの小沢昭一に歌わせているし、『貸間あり』(59)では温泉場でフランキー堺と加藤武が別府音頭をがなりたて、『幕末〜』ではときりがない。極めつけなら、『しとやかな獣』(62)だ。能の囃子が悪霊を呼び起こすように全篇鳴り響き、シテもワキもツイストで狂喜乱舞する、監獄ロックだ。
 端正と流麗の美学をあくまで通す成瀬巳喜男と、生き急ぐ偽悪家川島雄三、そんな両人が共同監督をやった世にもめずらしい作品が『夜の流れ』(60)だ。場所は築地の料亭「藤むら」。雇われおかみ(山田五十鈴)と板長(三橋達也)ができているとも知らず、娘(司葉子)は板長に惚れている。パトロン(志村喬)はおかみに関係を迫るが、そんなこととは露知らず。この映画は、どのシーンが成瀬で、どのシーンが川島かと周囲で議論百出してきたが、そこの狙いはどうしてもはずせない。――例えば、司は今日も気ままに仲良し芸妓と馴染みの部屋を出入りする。“勝ってくるぞと勇ましく……”と軍備拡張を皮肉り、“立て万国の労働者……”と行進して出ていく――誰もが川島のパートだと思う。では――司が三橋に愛を告白する――置屋で芸妓が自殺をはかる――山田が三橋に別れないでとすがる――ジャズ・オルガンを演奏しているバーで芸妓らが騒いでる――調理場の山田と三橋――別のバーで騒ぐ芸妓と司――調理場で包丁を振りかざす山田……さて、どっちがどのシーンを撮ったでしょう? 最後、神戸に逃げた三橋を追って、首になった山田は神戸に向う決意をする。芸妓になって界隈をお披露目する司の決意と、交互にカット・バックしつつ、タイトル・バックでも流れたキャバレー・バンドのムード歌謡が流れるのだ。クーッ。白川由美、水谷良重、草笛光子、市原悦子、三益愛子、越路吹雪の豪華絢爛女優陣!片や良俗、片や反俗、二つを掛けると通俗になっちまうのか、脱俗なんて言う気はないが。