Flaneur, Rhum & Pop Culture

やさしさと残酷は同義語だった。
「浜田真理子 mariko live 〜romance〜」
ライナー・ノーツより
LADY JANE LOGO












 十年前だったか、坂田明がビル・ラズウェルと俺の前で、「震えてなきゃ音楽じゃないよこれだっってそうだよ」とスピーカーを指しながら言った。俺が店で掛けていたのはメルセデス・ソーサだった。六十年代初頭、わがジャズ初体験と同時代に入ってきた西田佐知子がいて、以後巣くった。それから数年経ってやさしさとは残酷は同義語だと知った。

 浜田真理子を聴く度に、この震え、揺らぎの系譜を思いつつ、細く伸びるヴィヴラート音声に身体を寄せるのだ。それは、情けや癒しを押しつける日本的な温潤ではなくて、渇いていてしかも暖かさがある。そのことが稀有なのだ。そして間がある。この余白で聴衆は夢を見て、次の一音で旅人になっている。時間を掛けた一音一語が、真綿になった五体の毛孔から直接侵み入り後戻り不能となる。

 コンサート当日は新井英一を誘った。二人共カバー曲を良く歌っていて、『港の見える丘』や『さとうきび畑』などが共通曲なのだが、初っ鼻の一曲目がいきなり共通の曲『ゴンドラの唄』だったのは、さぞかし新井英一もこそばゆかっただろう。一部の最後は、世界に今荒ぶる国を憂い演奏を一時封印していた『AMERICA』。極私的世界に引き入れて感情を揺さぶる名曲が、アメリカの鎮魂歌のように聴こえたから不思議だ。休憩でも席を立たない新井英一が、「細かいけどよく伸びて音程をはずさないね。『霜笛』が出色だな」と言ってまんまと罠に嵌りかけていた。俺は俺で西田佐知子の『くれないホテル』に、『東京ブルース』を合体させて、思いを繋げていた。

 そして二部、ここにも新井英一と共通カバー曲『黒の舟唄』が三曲目だ。まるで浜田真理子の自作曲のように真理子ワールドしていたのが印象的だった。次いで聴者の紅涙を絞らずにはいかない『のこされし者のうた』。俺は最初に聴いた時から、この曲に一番当人の声質や唱法、性癖が出ていると思っている。二曲で軽く去なすと、『Love song』で“このまま死んでしまいたい”と西田佐知子幻想を覆い被せてくる。計算づくなのだ。こういう女を世の中では悪女という。だってほら、アンコール曲最後の土産が“どうぞ誰かにおあげなさい”という『純愛』なのだから。と言えば誉めすぎになるが、“やさしさと残酷は同義語だ”が四十年振りに甦った。選曲や曲順に一日の長あり、ライブ感の成長もあって、上らされた感を憶えた二年前のコクーン・ライブからは余程近くにやって来た。

 新井英一がニヤッと握手の手を出して、「これ浜田さんに渡して」と、自分の新作のCDを手渡した。これで楽屋に用事が出来た。

音楽プロデューサー 大木雄高


浜田真理子 「mariko live 〜romance〜」
2004.11.4 at Bunkamura Theare COCOON

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0007WZVKK/

DISC1 live at Bunkamura Theatre COCOON
1.ゴンドラの唄
2.理由
3.I'm gonnna sit right down and write myself a letter
4.霧笛
5.America
6.Beyond
7.Nearless of you
8.黒の舟歌
9.のこされし者の歌
10.俺はお前に弱いんだ
11.逢わずに愛して ~Do right woman-Do right man
12.Love song
13.流転
14.純愛

DISC2 at the other places
1.月夜の夢に
2.Baby mine
3.離別 (イビヨル)
4.Black Coffee
5.Love me tender
6.昭和ブルース
7.しげさ節
8.四十雀
9.恋ごころ
10.湖畔の宿 〜Cry me a river
11.夜の底
12.みんな夢の中
13.場末哀歌
14.流転 (ボーナス・トラック)