top
top top
絵:黒田征太郎 文:大木雄高
top











VOL.22
「一輪の野ばら」は西に東に

ツィゴイネルワイゼン

 四月下旬、イベントの打ち合わせで中国の大連に行ってきたが、北京情報を持って入ろうと思い、まず空路北京へ飛んだ。空港の芋の子を洗うような人込みと、車のクラクションの洪水の洗礼に、これが中国かと実感する。
 ホテルから、唯一の頼みのロック・ミュージシャン、欧陽(オーヤン)に連絡を取り、ジャズ・ライブをやっている店一軒と、ジャズを流しているバー一軒を案内してもらった。ジャズ状況はこれですべてらしい。「北京でさえこれか」と、大連行きに暗雲が広がる。
 翌朝、目を覚ますと、東京の知人のプロデューサーからFAXが入っていた。僕の「ロマーニッシェス・カフェ」で二度ライブをやった「中国琵琶の王暁東(ワンシャオトン)が里帰り中で、あと二日、北京にいるはずだ。彼の弟のカフェに行けば連絡がとれるかもしれないが、電話番号は知らない」という内容だった。
 地図を頼りに延々と歩き、そのカフェを見つけた。そして王暁東に連絡がついた。偶然の出来事に、僕はびっくりしたが、彼の方が驚いていた。「叔母の手料理で晩餐をするから、ご一緒しましょう」ということになった。
 車が着くと、そこはいかめしい門兵が立っている中国人民解放軍の「芸術学院」という学舎だった。全寮制の英才教育を施された軍服美人のお嬢様が目につく、凛とした別世界だ。その広大な敷地の奥の一角に、大学教授の叔父夫妻の住むアパートがあった。以前やはり、そこで教えていたという、中国歌舞学会の重鎮のご両親も見えられていた。
 白酒(パイチュ)と、それにきれいに食べ切る程度の量では、歓待したとはいわない中国式の殺人的大量料理のご馳走の後、先日東京で王暁東がやったライブビデオ鑑賞になった。一番盛り上がった最後の曲は、中国の八小節の民謡を基に、若き日の彼の父が作曲して、母に贈った「一輪の野ばら」というラブソングだった。中国琵琶の伝統世界に反発した息子の、日本のジャズメンとの演奏に、父親の反応は意外にも好意的だった。
 そして帰郷の目的が、今年十月に行われる「北京芸術祭」に、日本から先のジャズメンを招待する計画の打ち合わせだと知った。「王さん、明日大連に行くから、俺、話つけてくるよ。大連でもやろうよ」と僕が言うと、「二カ所でできたら、もっと楽しい。頼みます」ということになった。
 たった一日の偶然で、僕はお土産を拾い、翌朝、浮かれて大連に飛び立ったのだった。

「アサヒグラフ」1998年6月12日号掲載