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絵:黒田征太郎 文:大木雄高
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VOL.18
「鳥の歌」は平和、平和、平和

ツィゴイネルワイゼン

 一九九二年のバルセロナ・オリンピックの閉会式で、カタルーニャ民謡「鳥の歌」が、歌つきで演奏された。だいぶ前のことであるが、僕の胸は熱くなった。実はカタルーニャ人にとって、バルセロナ・オリンピックも、「鳥の歌」も、ある感慨が秘められていたのだ。カタルーニャはスペイン東南の自治州で、バルセロナはその首都である。
 それは五十六年前の一九三六年、第十一回オリンピック開催地はナチスのベルリンに決まったのだが、次点だったバルセロナで、反ファシズムの人民オリンピックを開こうとしていた。カタルーニャが生んだ巨大なチェリスト、パブロ・カザルスは、開会式でベートーベンの「第九」を指揮することになっていた。ところが数日前、ヒトラーに後押しされたフランコ軍と政府軍との間に内乱が勃発、人民オリンピックは中止になった。だが一週間後、ベルリン大会で、高らかに「第九」が演奏された。カザルスは「ファシズムのあるところに平和はない」といって、ピレネー山脈を挟んだ反対側のフレンチ・カタルーニャのプラドという寒村に亡命した。
 僕の長年の友人で、伊勢英子さんという絵本作家がいる。彼女は先のバルセロナ・オリンピックの前後、カザルスの足跡を訪ねるテレビ取材で、カタルーニャに出かけた。彼女は若いころ、日本人のある先生にチェロを習っていたが、先生はなんとカザルスの弟子だったそうだ。それで僕は、チェロを題材にした彼女の絵を何枚も見ることになる。伊勢さんは、それ以前にもカザルスを追って一人旅に出かけている。そのときの驚きと発見が、「カザルスへの旅」という題で上梓されている。書き出しに「今、私は(中略)最も神聖な空間にたたずんでいる」とある。その場所とは、六十を過ぎて亡命を余儀なくされたカザルスが選んだ地、プラドだった。
 プラドに立ったカザルスにとって「鳥の歌」は特別なものになったに違いない。ピレネー山脈に遮られた二つの国のカタルーニャ、でも鳥にとっては、同じカタルーニャだ。“ピース、ピース”と啼く鳥に、望郷の念を込めて何百回も弾いた。しかし生涯、帰郷を拒み、七三年、九十六歳で逝った。皮肉にも、その直後、フランコ政権は倒れることになるのだが……。
 何度ビデオで見たことか、七一年の国連平和賞受賞時のカザルスの「鳥の歌」に、特別の感情を込めざるを得ないのである。

「アサヒグラフ」1998年5月15日号掲載