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絵:黒田征太郎 文:大木雄高
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VOL.14
晴れの日に「アリラン」

ツィゴイネルワイゼン

 二月の中旬ごろ、神々の詩「アリラン」というテレビのドキュメンタリー番組を見た。
 一九二六年、日本の植民地時代に、韓国のソウルに朝鮮総督府がつくられたが、同じ年に朝鮮映画「アリラン」が封切られ、主題歌は世界中に広まったので、僕も小さいころから馴染んでいた歌ではあった。
 ところが、歌手・新井英一の語りで進む、朝鮮半島の「アリラン」の旅番組は驚きだった。中部の山岳の村チョンソンは“アリランの故郷”と呼ばれ、そこは極めて素朴な生活を歌い、南の島チンドでは「楽しいときしか歌わない」のがアリランだという。だが旧満州に残された朝鮮族の人にとって、中朝国境の図們(トモン)大橋は、親兄弟を遮るアリラン峠となって怨歌を生む。三八度線の悲劇を歌った「ホルロ・アリラン」をヒットさせた歌手のハン・ドルは、「いつわれわれが峠ばっかり超えてきた!日本がアリランを“恨”の歌にした」と怒りを隠さない。そして「トラジの花(従軍慰安婦の意)」を歌って、「これが今の僕のアリランです」という。
 実に、その人、その時代の数百のメロディー、数千の歌詞が、アリランの正体なのだ。
 ところで、僕は「アリラン」の詩書を持っている。書いてくれたのは金大煥という韓国の打楽器奏者で、六七年、韓国グループサウンズ初代会長にして、あのチョー・ヨンピルと金大煥トリオを結成していた人だ。隠されたリズムという意味の「黒雨」を異名に持つ彼の特徴は、両手に六本のスティックで、ポリリズムを叩きだすことにある。
 卓越した音楽家の金大煥は、同時に比類ない書家としても知られている。一月のわが「ロマーニッシェス・カフェ」の閉店ライブにも、韓国から駆けつけてくれて、渡辺香津美や梅津和時と共演中、白布の裏に逆さ文字を書いて、客を唖然とさせたし、玄米一粒に般若心経二百七十六文字を微細彫刻して、ギネス認定者になっている達人でもある。
 六年前、その彼に拙宅に泊まっていただくことになった。ある朝、「ちょっと新宿まで出かけてくるよ」といって、買ってきた和紙と墨で書いてくれたのが、ハングルのアリランと、漢字の般若心経だった。どんな「アリラン」が書かれているのか、僕には分からないが、「もし南北が統一したら、この歌がきっと国歌になるね」と金大煥が言った言葉を、先の番組で思い出し、目からうろこが落ちる思いだった。  

「アサヒグラフ」1998年4月10日号掲載