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絵:黒田征太郎 文:大木雄高
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VOL.13
トム・ウェイツと「横浜ホンキートンク・ブルース」

ツィゴイネルワイゼン

 僕は昔、俳優の藤竜也の映画はほとんどみていて、ひょんなきっかけで仲良しになった。当時、旅好きの彼の十万キロは走行していたおんぼろセドリックで、今はない逗子の「なぎさホテル」に遊びに行ったりした。それも東京で、酒とポーカーをやった徹夜明けで、頭はくらくらだった。
 プールサイドで、藤竜也は言った。
「明日の朝五時、所沢で撮影なんだ」
「えっ、冗談じゃないよ。今だって酔いどれじゃないの!」と僕が言って、車のトランクを開けると、シャベルといっしょに、撮影用のスーツがまぶしく入っていた。
 で、その後も藤竜也は、僕が一九七五年に開いた「レディ・ジェーン」に、ときたま顔を見せてくれた。その年のある夜、まだ枚数の少ないLPレコードの中から、トム・ウェイツのデビューアルバム「クロージング・タイム」に針を落としたとき、彼はすぐ反応し、「誰なんだ?」と聞いた。ダミ声のロードソング「オール55」から、A面の最後までじっと聴き入っていた。
 トム・ウェイツの所属レコード会社は「アサイラム(保護収容所の意)」というのだが、藤竜也の行動を見ていると、彼にも「アサイラムが必要なのかもしれない」と思ってしまった。
 しばらく時が経ち、藤竜也が歌う「横浜ホンキートンク・ブルース」を知った。さっそくシングル盤を手にすると、作詞・藤竜也、作曲・エディ藩となっていて、ジャケットのイラストは、当欄できれいな絵を描いてくれている黒田征太郎だった。
 “独り飲む酒”で始まるこの歌は、その後数多くの歌手がステージやアルバムで歌うようになる。僕の知るところ、作曲のエディ藩はもちろん原田良雄、松田優作、李世福、新井英一、山崎ハコらであるが、一ケ所、不思議に思っていることがある。
 前出の歌手たちは、一番の歌詞の五小節目を、“たとえばブルースなんてききたい夜は”と歌っているが、作詞の藤竜也は、“たとえばトム・ウェイツなんてききたい夜は”と歌っている。先の歌手たちに会えば、そのわけを尋ねるのだが、「えっ!」と驚いて、誰もその事実さえ知らない。当時、“トム・ウェイツ”は無名に近く馴染みがなくて、“ブルース”になったのだとしたら、個人的には残念である。
 当の藤竜也に聞いてみるのが、手っとり早いのは分かっているが、それは野暮でしょう。

「アサヒグラフ」1998年4月3日号掲載