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絵:黒田征太郎 文:大木雄高
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VOL.7

帰ってきた「魂こがして」


 一月十四日(註:1998年)、すし詰め状態の「新宿ロフト」で、開演を待ちわびる客の地鳴りのようなコールが沸き起こった。

 結成時からのメンバー、ドラムのキースの重いキックで、七年ぶりにロックバンド「ARB」が復活した。解散までの十三年間、東京の活動拠点は「新宿ロフト」だった。再結成のこの日も、武道館ではなく同じ場所を選んだ。それはリーダー石橋凌の音楽にかかわる問題であり、そのことは客の皆が周知のことで、入れなかった四千七百五十人分を背負った二百五十人の思いは、極度に熱かった。

 そのわけは、一九八九年に亡くなった松田優作の監督作「ア・ホーマンス」の主役に抜擢された凌が、彼の遺志を継ぐため、音楽の道を封印してしまったことを知っているからだった。

 優作が逝って直後の十一月二十一日、「話がある」と、凌が僕のところへやって来た。「やめるわけじゃない。七年間、俳優一本に絞る。やみくもだが、とにかく七年間。」といった。他人の大事な選択に責任を持てなくて、当然のように反対すると、「もう決めたんです」ときた。そして、九十年からのファイナル・ツアーを終えた九一年一月十一日、自身の川に堰を入れるべく、新生に向かって一人旅に出た。

「アフター1945(第2次大戦後の意)」や「ウォー・イズ・オーバー」を歌った凌は、雪の新潟から、シベリア鉄道に乗るため、凍土のハバロフスクへと飛び立った。ロンドンまでの約一カ月の旅の最中、湾岸戦争が勃発し、旧ソビエトとバルト三国の争いや、パリやロンドンでの反戦デモや爆弾テロを脇目にしながら腐るほど物があふれている、日本に帰ってきて、思いを新たにしたことが、「良いもの(つまり、映画)」を作りたいという欲求だった。

「新・悲しきヒットマン」「キッズ・リターン」「チ・ン・ピ・ラ」を始め、幾多の映画に出演。なかでも日米合作映画に三本出演したのがきっかけで、九五年、ショーン・ペン監督作「クロッシング・ガード」で脇役ながら、ジャック・ニコルソンと共演できたのが、封印を解く意を強くしたに違いない。そうしたら計画通り七年目だったわけだ。

「これからもずっと歌っていきます」と宣言する代表作「魂こがして」の思いをそのままに、石橋凌と「ARB」は帰ってきた。

「アサヒグラフ」1998年2月20日号掲載