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絵:黒田征太郎 文:大木雄高
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VOL.3

「アメリカ」のデジャ・ヴュ


 故松田優作の一九八一年の主演作「陽炎座」は、彼の短い映画人生の中で、内なる演技に向かった自らのチェックポイントだった気が僕はけっこうしている。

 鈴木清純監督の魔術的技法と、気持ちよい翻弄のされ方は、華族夫人に魅せられ、魂を吸い取られていく三文戯作者の役どころと同様に、優作にとっては初体験だったろうと思う。

 逝って八年余たった今、“優作波動”は凄まじい。CMや雑誌特集始め、「アンダーカバー」のデザイナー・JONIOは、キムタクと組んで「探偵物語」ファッションをやるし、崔洋一監督は優作の企画だった「ドッグレース」に取り組んでいる。昨年十二月には「松田優作展」が開催された。

 優作は異常な執着度で映画に対峙した魂の人であったが、同時に取り組んでいた歌の世界に対しても、同じ温度を注いでいた。

 八七年春、優作は最後のLP「D・F・Nuance・Band」のリリースに合わせて、不肖僕の実験空間「ロマーニッシェス・カフェ」で、数回のライブを演った。前の晩にカフェにやってきて、「何もケアしなくていい。終わったあと、おいしい酒がギャラでいい。僕にとっては晴れの舞台だよ。家からじゃなく、都ホテルから出向くよ」と言った。

 そのLPと、八五年のLP「DEJA・VU」に、友人のよしみで付き合ったビクタースタジオでのレコーディングは凄かった。深夜に及んで一曲あがるかどうか、上がっても翌日、「あそこがちょっと。別テイクだ!」となる。連夜にわたってテイクが連続した。

 映画の話に戻るが、八九年最後に出演した作品「ブラック・レイン」はハリウッドで製作された。スーツを着た佐藤役の優作が銃で撃たれるカットで、ワンテイク撮るごとに、スーツは血糊と銃弾で駄目になるのだが、監督は執拗に撮影を繰り返した。優作は「何回やるの? だいいちスーツが・・・・」と言ったとき、監督は「OK、ミスター・マツダ」と言ってクロークのカーテンを開けると、スーツはまだ二十着も残っていたとか。

 「D・F・Nuance・Band」に収録されている代表曲「アメリカ」は、そんな物量の国、映画の父の国、アメリカへの賛歌だが、「陽炎座」以降の内なる演技を蓄えた優作は、感受性豊かなアクション俳優として、アメリカ映画の扉に風穴を開けたまま帰ってこなかった。DEJA・VU?

「アサヒグラフ」1998年1月23日号掲載