top top
top top top











一寸の虫にも五分の魂
VOL.94

 稲作百姓が「地味」を肥やすのに5年かかるというが、「地味」は派手さがなく暗いと嫌われる。遠心的情報に依った地味のないあらゆる<文化作品>は商品となってゴミになる。
 立派な地味を持つ神奈川県音楽堂や各地同潤会アパートの大正が壊されてゴミになる。金権まみれの長野オリンピック建設で出した膨大なゴミは事後の方が怖いし、ワールドカップ誘致も政治家が乗り出してきて胡散臭い。葛生の産廃業者は凄かったし、ロシアの核廃棄物の日本海投機はもっと怖い。
 で、『一杯のかけそば』や『清貧の思想』、又は『マディソン群の橋』に小さな美と感動を発見し、日本情緒でいえば<思想的四畳半>を志向するが逃げては汚い、被害者は加害者で加害者は被害者なのだ。小さな感動より大きな絶望を。絶望は明るい。
 ケヴィン・リンチという都市計画家の本に『廃棄の文化史』がある。会社や家庭で「粗大ゴミ」や「産業廃棄物」といわれ、役立たずになった大人はゴミ以下の「ゴミ」なのか?世界がゴミの覆われつつある中、ゴミを共に愛し「衰退のうちに喜びを見い出す術を学ばなければならない」とゴミの余生を願い、絶望の勧めを説く。すると鴉と人間の共生、或は共食いも一考かも知れない。ゴンベがゴミ撒きゃからすがほじくるだし。

(烏森神社の巫女)

(1994.5記)