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牛に引かれて善光寺詣り
VOL.83

 沖縄併合の'72年、'73年の二度の夏、ナイフを秘めたボロ雑巾の様だった。世田谷代田に居を構えた女優と演出家、美術家と作家志望の女四人と、用心棒と云うか、下足番と云おうか、路地裏で拾い集めたコーラ瓶を酒屋で金にして買った素麺と、酒屋で拝借したレッドで二夏過ごす、“冷麦の三箸がほどの涼しさよ”(万太郎)てな分けにはいかない。うだる熱帯夜、素麺とレッド以外失う物は何も無い。キリキリ雫を絞りながら餓鬼の様だった。監督、俳優、作家(沼正三も!)連中が、何のクソ興味あるのか夜毎現れて、退屈はしなかった。
 今七夕の宵、20年振りに一同会した。只一人欠けていた。ー一番若く、一番人生に積極的だった作家志望のH子は精神を病みドラッグ死した。筆者は皆にその事を告げるが、元々、死を側に置いている奴らだ。只、ひたすらに20年前の夏の様に浴びて飲む。
 一週間後、故鈴木いづみ短編集が届く。編集氏曰く、“生前の彼女の話を伺いたい”と、Fuckin'69、安田の頃だよ!中島葵も届く。中上健次も来た。優作よ、善福寺池の大山椒魚がそっちへ行った、束ねてくれよ。こっちだって偉いお盆興行なんだから。
 せき止めて 異床同夢の 星祭り ー唖楽ー

(五代目円朝)

(1993.6記)