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阿弥陀の光も金の世
VOL.76

 「坂田明のアジア音楽街道」をTVで観た。宗教と魂に関わる音楽の源流を遡り、韓国の男寺党(ナムサダン)、西安の雅楽、そして生と死と音楽の本質的な関係をベナレスで体験し、「日本人は魂の音楽を持ち得てるか?」と嘆くのを観て、それはそうだと今年亡くなった音楽家達ーメシアンやケージ、ピアソラやユパンキーに思いをやっていると、吉本隆明が小誌に書いている随筆が目にとまった。ー曰く
 「赤裸にふたつ姿がある。ひとつは嬰児のように、未明や原始の人のように、秘すという心を持っていないために表現できる赤裸。ひとつはたゆみなく自分を感覚や心情について歩ました果てでなければ到達できないような赤裸だ」とあって、はじめの赤裸に大江光氏が、あとの赤裸に糸川英夫氏が浮かんだ。
 鳥の声に反応して以後、音楽にだけ興味を示した知能障害の光氏の自作曲集がCDになった。29才にして初めての人生の形は透明だ。片や80才のロケット博士は、“誰のためにどんな音を出すべきか”と、45年間ひたすら波動論方程式を解き続け、一本のヴァイオリンを完成した。メニューインは絶賛し、初代奏者の中沢きみ子は「100年で最高音に達し、200年は独自の音色を奏でるだろう」といった。失えない赤裸と、失った後再び手に入れた赤裸と、今年二つの魂の自足の世界を見た。

(孫悟空)

(1992.11記)