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しゃぼん玉飛んで、こわれて消えた
VOL.60

 資本主義の聖典『国富論』のアダム・スミスに、昔、各人の私利私欲の追求が、「見えざる手」の動きで国を繁栄させると教わった。今、18世紀の初期資本主義の単純論理が20世紀のケインズ経済を否定し、「A・スミスの亡霊が80年代の経済学界をわがもの顔に徘徊し」(某学者)ているという。「国富論」の云う国家を、治安と国防に励め、経済に介入しない「夜警国家」と云う。この夜警国家思想(ジユウホウニン)は、昨今、あらゆる企業の様々な事件を産み、一蓮托生の政界を襲い、「宗教界は企業努力が足りない」と喩す醜悪な新興宗教まで出現させる。
 今年1月〜6月の企業倒産件数は4723件、負債総額3兆4262億円で、“バブル経済の崩壊が近づいた”と経済マスコミは騒ぐが、大型再編を計る金融界のパワー・プレイでしかない。
 黒澤明監督の『醜聞』('50)はデッチ上げ記事に対し、名誉を賭けて闘う男女の話だが、頼んだ老弁護士が原告の雑誌社に金を掴まされ、良心の呵責に苦しむ―41年後事実は小説よりも奇なり。日本の“商法、会社法の権威”H弁護士は敵の不動産会社と顧問会社の二重取り、濡れ手にアワの1億2千万円。嗚呼、この世は映画じゃないのよ。

(吉原の北原白秋)

(1991.7記)