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過ぎたるは猶及ばざるが如し
VOL.44

 観光旅館に宿泊して常に思うことは食卓の大袈裟である。余程の大食漢でも食べ切れた量ではない。バイキングでもエスニックでも無い。日本料理独特の飾り付けで一人前が配膳されて出てくる。一瞬の感動は即ち不気味さに変り、予め自由が失われていることに気が付くと、腹立たしさに変わる。作法も全く無視されている。地球国の物資貧困を想わないでもない。写真家吉田ルイ子は自著に“サラフィナ”の「南アの黒人達の瞳はにごって光がない、黒い肌につやがない」とアパルトヘイトに怒りを込めるが、差別もなく対南ア輸出世界一の日本人はこうして物に対する「感動」を稀薄にしていく。

 「ベルリンの壁」が開放され東から西へやって来た家族連れの少女が、眩しく光る林檎を店先に発見した時の感動場面をニュースで観た時、38年前映画「リンゴ園の少女」でトラックに山積みのころげ落ちる青々とした林檎を親父の肩の上で観た時を重ねたが、今は昔か…。山手線の椅子を取っ払うというラッシュ緩和策の正しい経済(ラーゲリ行きの貨車か?)に支えられた富める国日本は“過食の宴”から一歩も動きたがらない。風も凪いている平成2年。

(勘当息子)

(1990.3.1記)