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器を造って魂を入れず
VOL.30
 かつて1960年『官邸付近は騒がしいが神宮球場は満員だ』と嘯かれたり、『貧乏人は麦飯を食え』とドヤされた、飢えた戦後昭和の転換期を写し続けてきたNEWメディア=TVも今や肥え太り、奢った社会を照射するカメラ自ら奢ってしまった。すぐれた技術に裏打ちされた勤勉な豊かな経済を産み、豊かな経済は立派なハードウェア=科学を産んだ。だが、本来その中に入るべき人間=ソフトウェアはどうもその仕組みの外に置かれ、文化とは相も変らずピカソが40何億円だ、誰のが何億と昔に金でたよるか、海外スーパースターを金で呼んで埋め合わせする。

 先進企業のフレックス・タイム制(自由勤務時間制)は画期的だが、働きたい時働くのは、遊びたい時遊ぶということ、重力あるソフトで遊ばないと浮いてしまって次代へ翔ばない。何せ、自粛の今、昭和という時間が宇宙遊泳しているのだから。「時間の自由」が経済効率の中でも遊ばれているようだ。

 とまれ新年。すたれた行事だが、門松を飾り初火で雑煮を食う。七草粥を感謝し頂く。決められた時に決まった事をやる。結構気持ちがスッと立ち上がるものです。

(縄文式土器)

(1989.1.1記)